[書評]面白ければなんでもあり 発行累計6000万部――とある編集の仕事目録

2016-04-08 22:29 | 書評

とある魔術の禁書目録 1580万部
ソードアート・オンライン 1130万部
灼眼のシャナ 860万部
魔法科高校の劣等生 675万部
俺の妹がこんなに可愛いわけがない 500万部
アクセル・ワールド 435万部
乃木坂春香の秘密 200万部
電波女と青春男 150万部
嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 135万部
しにがみのバラッド。 130万部
撲殺天使ドクロちゃん 110万部
ヘヴィーオブジェクト 120万部

キャリア15年でヒット作を数多く手がけてきた売れっ子編集者の回顧録。あるいは仕事目録であり仕事術のまとめ本。ライトノベル界を牽引してきた電撃文庫の重要人物だけに、中身は非常に濃い。企画術、創作術、編集術といったノウハウ本として読めるし、創作に関係なくともビジネス本のようにも読める、あるいは一人の編集者の実績カタログでもあり、各作品の裏側を紐解いたファンブックとしても捉えることができる。

第一線でエンタテイメントに関わる人だけに、文章にグイグイ引き寄せる力がある。難しそうな話も平易に砕き、裏話を交えつつ終始興味を引くように作られてあり、著者が如何に優れた編集者であるかが分かる。

構成は何十もあるノウハウの寄せ集めなのだが、全体を通して一貫している点は「加点法でとらえる」という点で、本書中ではこのことが何度も登場する。作家の原稿を読むときも加点法で「いいね!」をたくさん付けていき、良くない点は極力伝えないという方法を採る。伝えない代わりに、良い点をさらに伸ばして書き直してもらうと、自然と良くない点は押し出されて消えてしまうという。

創作をしている人へのメッセージの中にもこの「加点法でとらえる」が出てくる。ネガティブな意見に囚われて創作意欲を無くすことは誰の得にもならない。加点法でとらえ、ネガティブ意見より何百倍、何千倍も多いポジティブな意見(売上や反響)を気にするようにして、作品を待っている人がいることを忘れないようにと語っている。また、日々の暮らしにおいても、メンタルコントロールとして「加点法」を推奨している。

創作の世界の(一ジャンルの)頂点を知る人の言葉は重い。人間業とは思えない作家のエピソードなども登場するので、この本を読んで創作する心を折られる人もいるだろうし、益々創作意欲を燃え上がらせる人もいるだろう。

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[書評]「豊かさ」の誕生

2016-02-06 15:51 | 書評

文明が急速に発展するための条件が4つあると仮説を立て、近代史に照らし合わせて検証した本。

人間の歴史上、文明が急速に発展する時代を迎えている。例えば中世の時代に何か発明をしたとしても、それが各地に広まるまでは何十年何百年とかかっていた。生産性の上昇など何年かかってもほとんどなかった。それが今では比較にならないほどの進歩になっている。この過去と現在の間で、どの地点で科学進歩のペースがアップしたのかを考えると、どうやら1830年前後に行き着くらしい。著者はそのタイミングで何があったかを思考し、その前後で文明の急速発展に必要な4要素が揃ったのではないかと仮説を立てた。

4つの条件とは、

  • 私有財産制 …財産が没収されないこと
  • 科学的合理主義 …思考が宗教に縛られないこと
  • 資本市場の発達 …資金源があること
  • 輸送と通信の発達 …低コストのインフラがあること

である。

さらに近代史を紐解き、1830年前後に至らずとも4要素が成立していた例(17世紀オランダ、18世紀英国)を取り出して、どのように4要素が揃うことになり、実際にどのような成果をもたらしたかを述べている。一方で、大国でありながら4要素が揃わず文明を牽引するほどの発展を生みだせなかった例(フランス、スペイン)を取り出して、どのように結果が開いていったかも解説している。

例えば18世紀フランスは絶対君主国家で慢性的な財政不足で、度々徳政令が出されたことから資本市場が発達しなかった。また、国内が諸侯によって細かく領地分割されており、関税や通行税がかけられていたために輸送が発達しなかった。17世紀スペインでは異端審問の嵐で、科学的合理主義はまったく望めなかった。このように近代的な文明発展の足を引っ張っていた様々な要素があり、それを克服できたのが17世紀オランダや18世紀~19世紀の英国で、世界の覇者となり得たのだった。

この本の注目すべき点は、戦争や歴史に残る革命などがあったかどうかに関わらず、国が発展するかどうかを左右するのは国の制度設計であることを示したところにある。
4要素さえ揃っていれば、二度の大戦で焦土と化したドイツであっても一貫して高い発展・経済成長ができたのだ。この点は日本も同じだ。

この本は3部構成になっており、1部と2部は各国々を例に挙げて4要素により急速発展ができたか(あるいはできなかったか)を検証している。3部ではそれらをベースとして、各地域や国家の抱える現在の問題とその未来について分析している。

著者は元々投資アドバイスの本を書いていて、ハッキリとは言わないが各国(たとえばイスラム諸国や中国)が投資見込みがあるかどうかが挙げられているので、参考になるかも知れない。

とは言え、最後の第13章では結論として「人間の歴史上この200年間はほんの一瞬であって、今のような安定した成長は今後とも続くわけでは無いだろう」と言われて冷や水をぶっかけられるので、お気を付けて。

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[書評]ウォール街のランダム・ウォーカー

2016-01-30 16:24 | 書評

個人投資家として株式投資の入口に立つ人へ向けられた本。

結論を先に言うと「個別株を買うより、アクティブファンドを買うより、インデックスファンドを買った方がパフォーマンスが良い」。ただし、そこには膨大な注釈が付いていて、それをまとめあげたのがこの本そのものと言っていい。

各章は株式の価値判断をするための二大流派、ファンダメンタル価値学派(公開情報から割安株を探す)と砂上の楼閣学派(市場参加者の多数派がどう動くかを予想する)の解説に始まり、市場が効率的とは言えない実証としての過去のバブルと恐慌の歴史(チューリップバブル、南海泡沫事件、世界恐慌など)を経て、テクニカル分析とファンダメンタル分析の解説、その他の近年登場したテクニックなどの解説などが続く。株式投資を始めるに当たっての全体地図として頭に置いておくと、今後の勉強がしやすくなると思われる。

そこから導かれる結論は「インデックスファンドこそ最強の投資法」という内容だ。最大で過去百数十年のデータをあげて、長期的に、どのようなタイミングで始めても、過去に存在したアクティブファンドはインデックス指標(S&P500等)のパフォーマンスを超え続けることはできなかった。超えたとしてもごく短期間か、良いタイミングで始めて良いタイミングで引き上げた人に限られるか、最終的にはボロボロの結果に終わるかになってしまった。去年最高のパフォーマンスを上げたファンドだからといって今年も同じ結果になるとは限らない(過去の実績は未来のパフォーマンスを担保しない)し、そうしたごく一部の優秀ファンドを事前に知ることはできない。結果的に、確実な成果を上げ続けるには全株式にあまねく広く投資するインデックスファンドを選択するしかない。

ナシーム・ニコラス・タレブの言葉を借りるなら「優秀なファンドマネジャーなんていない。あれはまぐれだ」というところだろう。十分に効率的になっている市場で、大多数を出し抜いて勝ち続けることは相当に難しく、初めから諦めて、少なくとも損はしないインデックスファンドにした方がマシだということだ。

とは言うものの、ウォール街や兜町では(リスクを取って)一大財産を築き上げる人がいる。何より著者はアナリストとして実務をし、経済学者としても活動してきた一方で、一個人投資家として成功を収めてきたと明かしている。それはこの本に書いたことの実践だとは明言していない(何よりこの本が初めて世に出た1973年、インデックスファンドは存在しなかった)。そうした成功者の存在を横目に見つつも、インデックスファンドに任せるか、それともアクティブファンドやら自分の才覚での個別株投資に舵を切るのか、それは読者の考え方(リスク選好度など)にかかってくるだろう。

この本を“使う”ために最も重要な部分は第13章「投資家のライフサイクルに応じた投資戦略」の解説だ。著者自身も「この章だけでも、高い料金を払ってファイナンシャル・アドバイザーを雇うよりも価値があると自負している[1]」と言っている。インデックスファンドが長期的な資産形成に有効であることが分かった上で、個人投資家はそれぞれのライフステージに合わせて資産のバランスを変更する必要がある。それを年齢ごと、収入の状況ごとに例をあげて解説している。20代半ばであれば多少の損が出ても収入でカバーできるので株式投資を多めに、引退世代なら安全な債券を多めに、キャッシュも多めに、といった具合だ。株式投資をするならインデックスファンドを中心にすることを推奨しているが、自分で個別株に投資するパターンも触れられている。また、定期的なリバランスがもたらす投資効果についても解説されている。

一つ注意しておきたいのは、この本はすべて米国内の投資家を念頭にしたもので、税制の違いや日本の市場が米国株式市場ほどに効率的ではないことに注意する必要がある。一応、訳者あとがきでその点は触れられているが、読むときにははじめに確認した方が良いと思われる。

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  1. 第一〇版へのまえがき p4 []

[書評]佐々木敏の栄養データはこう読む!疫学研究から読み解くぶれない食べ方

2016-01-25 21:33 | 書評

注意深く読めば10年、20年と使える栄養学データの読み取り方解説本。

ざっくり言えば「ブルーベリーは目を良くする」「糖質制限で楽に減量できる」といった世間にあふれる様々な情報の中から、確からしい情報とそうでない情報をどのように切り分けるべきかを解説した本。

著者は人間栄養学・栄養疫学の専門家で、科学的根拠に基づいた栄養学(EBN:Evidence-based nutrition)の流れに沿って大小さまざまなテーマを取り上げている。

  • コレステロールを摂取しなければ健康か(実はそうではない)
  • 甘い飲み物はなぜ健康に良くないのか(実は分からない)
  • 糖質制限で健康になれるか(実はそうではない)
  • そもそも研究論文がどれくらい信用できるのか(あまり信用できない)

などなど。

栄養疫学とは

食物のとり方・栄養のとり方を疫学的に分析するという栄養疫学。その成果のうち特に分かりやすい例がある。

1950年代から60年代にかけての話だが、フィンランドなどの7ヵ国で心筋梗塞に関する大規模な調査が行われた。世界一心筋梗塞の多い国だったフィンランドとその他の国々とで食事と心筋梗塞の発症状況を調べたのだ。この調査によって得られた結論は「飽和脂肪酸の過剰摂取が血清コレステロールを上昇させ心筋梗塞の原因となる」というもの。ひらたく言えば動物性脂肪の食べ過ぎが心筋梗塞を招くということだった。フィンランドではこの結論を受けて「普通牛乳を低脂肪乳に、バターをマーガリン[1]に変える運動」が行われた。その結果、現在ではフィンランドの心筋梗塞死亡率は著しく減少することになった。

フィンランドの人たちは食べる物を変えた。それは国内の畜産業への影響や、食文化に関する保守的な考えを上回ってでも市民の健康が優先だと判断した結果だった。

栄養学の研究にはそれだけの重みがあり、それと同時に、研究結果の読み解き方に十分に注意を払う必要がある。私たちが「○○が身体に良い」「○○が身体に悪い」という言葉を耳にしたとき「はて、私は何を食べれば良いのだろう?」と混乱するだろう。毎日の食事を変えることは大変だ。そこで挙がっている研究結果が、これまで自分が食べてきたものを変えるに値するだけの信頼度を持っているのか。その信頼度を測るためのツール、疑うための考え方をこの本では多数紹介している。タイトルにもある通り「ぶれない食べ方」を実現するための鍵がそこにある。

コンプライアンス、ブラインド

例を挙げていこう。

糖質制限ダイエットに効果があるかどうかを検証した第5章では「コンプライアンス(遵守)」の考え方が出てくる。食事を制限したりする調査では、どうしても指示に従わない(従えない)人が出てくる。制限食群の人が実際に摂取した量を調べていくと、長期間になるに従って(指示が守られなくなって)平均的な摂取量と変わらなくなり、調査する意味が薄れていってしまう。

また、薬の効果調査にも使われる「ブラインド(盲検化)」をしようとすると、薬と違って食材を変える都合上、調査内容が被験者に推測されてしまい、指示を守らなかったり逆に守りすぎたり、この機会にと運動まで始めてしまうかもしれない。栄養学の調査はこのような制限があるため、薬のように簡単にはいかないようだ。

著者はこう結論している。

糖質制限ダイエットの効果を科学的に調べるのはとてもむずかしく、最終的な結論はまだ出ていません。現時点で言えるのは、やせるか否かの本質は、糖質を減らすか否かではなくて、エネルギー摂取量にあるということです。

とてもつまらない結論だが、銀の弾丸など存在しないということである。

利益相反、情報バイアス

第6章では研究論文にスポットを当てて、どのようなバイアスがかかりうるかを説明している。

著者は20の研究を集め、研究費の出所が企業の場合とそうでない場合で、「甘味飲料と体重増加の関係」があるか無いかの結論が変わってくることを示す。研究は公平・中立に行われるところ、研究費の出所(この場合は企業)に有利なように結論が歪められた可能性を疑い、これを「利益相反」として説明している。

また、世間では「効かない」という話よりも「効く」という話の方が興味を持たれやすいことを挙げ、情報バイアスの一つとして説明している。このことからも、エビデンスは単一の論文だけでは十分ではなく、多数の研究の積み重ねによってようやくエビデンスたり得るということが示されている。

行き着く結論はつまらない

この本を読めば読むほど、結論がつまらなくなってくる。

玉ねぎは高血圧に効くかどうか分からない。
糖質制限ダイエットの効果は分からない。
朝食をとらないと太るけどその理由はよく分からない。

で、何を信用すれば良いのかというと、栄養士の言うこと、医者の言うこと、厚生労働省のガイドラインとかの権威の言っていること。これらは10年やそこらで言うことは変わらない。ますますつまらない。

でもそれで良い。耳目を集めるような大発見などそうそう無いのだから、現在の栄養学の基本的部分を注意深く理解し、エビデンスの足りないものは疑っておけば、10年20年といったスパンで見た時に、様々な情報に振り回されている人よりもいくぶんかマシな生活を送れるだろう。

著者は何度も繰り返している。「自分の身体は使い捨ての試供品でもおもちゃでもない」

出所不明の情報に振り回されている場合ではないのだ。

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  1. トランス脂肪酸の危険性についても触れられているのでご心配なく []

[書評]帳簿の世界史

2015-04-13 23:00 | 書評

ある作家が法人税法違反で告発されたことが話題になり、それに関連して簿記や税務の話がバズっているので、流行りに乗ってこの本を紹介したい。複式簿記からはじまる会計・監査の歴史を解説した本だ。

会計の歴史はざっくり言うと、

14世紀頃にイタリア商人たちが複式簿記を使う

16世紀~17世紀にスペイン、オランダ、フランス、英国政府が財政に使う

19世紀の米国経済で会計士が量産される

という流れで、この本では各時代の流れが詳説されている。今となっては当たり前の「帳簿を付けて資産の流れを追えるようにする」ということが理解されず、何度となく阻まれて頓挫する様子が繰り返し描かれている。

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20101203の読書メモ

2010-12-03 23:40 | 書評

複眼の映像―私と黒澤明

映画「七人の侍」が好きすぎるあまり購入。黒澤明と共同脚本を務めた橋本忍による回顧録。

七人の侍は「日本剣豪列伝」と「侍の一日」というお蔵入りになった二つの作品を土台として書かれた希有なものだった。何でもない侍が何でもない仕事をし、仕事の失敗のために最後に切腹することになる一日を描く「侍の一日」は、シナリオを書く以前の調査段階で考証資料が不十分ということで取りやめになった。続いて宮本武蔵や塚原卜伝の話を集めたオムニバス企画「日本剣豪列伝」はクライマックスシーンの連続で映画としての起承転結に無理があるためシナリオ段階で消えた。剣豪列伝に出てきた剣豪たちの人物設定を流用し、「かつて戦国時代には百姓たちが侍を雇うことがあった」という歴史的な事実をヒントにして書き上げたのが七人の侍のシナリオだった。剣豪列伝の人物設定が活かされたという部分は「細かい部分までとことん作り込む」という黒澤作品にとってプラスに働いた。著者は他の黒澤作品での成功例・失敗例を多数挙げて何度も何度も主張しているが、人物設定が不十分だと脚本が浮いてしまい良い映画になることはないという。つまり実在の人物を元に調査した裏付けがあり、脚本家の頭の中で人物設定が出来上がっていたからこそ、七人の侍たちはそれぞれのキャラ付けに沿っていきいきと動くことができたのだ。

脚本を書く上での勘所は他にも多数挙げられている。ファーストシーンがイメージできればそれを元に全体のシナリオが書ける。起承転結は絶対に崩さない。シナリオより設定、設定よりテーマが重要。などなど。それらのノウハウは2~3時間のドラマを見る人たちの目を惹きつけ、つかみ、離さないために作り上げられたものだ。何気なく見ている映画がシナリオの技巧に注目してより楽しめるようになった気がする。

据次タカシの憂鬱

「もしハーレムマンガの世界で主人公が異常にネガティブだったら」な四コママンガ。引きこもりでニートだった据次タカシが母ちゃんに「働きなさい!」とボコられて強制的にファミレスのアルバイトに応募させられるところから話が始まる。主人公以外働いているのが全員女性で全員可愛いというところは定石の通りで、毎回勘違いが勘違いを呼んでトラブルに発展というのも定石の通り。しかし主人公があまりにもネガティブなため、勘違い展開の行き着く先が恋愛チックな話にならない(もちろんそういう要素もあるけど)。その代わりに毎回「据次タカシが社会的に認められていく」という成長ストーリーに繋がっている。(主人公は全然成長なんか望んでないんだけど)
例えば外国人のお客さんにクレームを付けられて怯まず対応するタカシに皆は驚くが、実はオンラインゲーム内で外国人ユーザーにカツアゲされるのに慣れてただけとか、旅行先でおじさんたちと中二病的な話で意気投合したが、実はおじさんたちは勤め先のファミレスのスーパーバイザーだったとかそんな話の連続。なんだか端から見れば“運良く”スーパーマンに見えるんだけど本人だけはどこまでもネガティブで、周囲の期待がどんどん高まっていく中で本人だけはそのチャンスを全力で拒否して逃げ回るあたり、よく訓練されたシンジ君だなとしみじみ思うわけです。

ちなみに、タイトルがツッコみどころなのは周知の事実なのでそっとしておいてあげるように。

限界集落温泉

「オールナイトライブ」「銭」で知られる漫画家、鈴木みその最新作。まさにコミックビームらしい、王道を思いっきり外れたテーマ設定や人物設定なのにトータルすると面白いという不思議な世界。

ボロボロで解体寸前の辺鄙な温泉に謎の男がやってきて、温泉を中心に(結果的に)町おこしを始めるという突飛なストーリー。その要素はいかにも現代的でサブカル的。ネットアイドル、ツイッター、ネットオークション、ストリーミング生放送、ブログなどなどを駆使して、謎の男は危ない橋をいくつもいくつも渡りながら企画を成功させてゆく。

そもそも営業してないボロ宿で、立地は山の奥の奥の人里離れた山の中。食べ物ない。飲み物ない。食品営業許可もない。コンビニない。タクシーない。クルマが通れる道がない。電波がない。遊び場ない。借金ばかりで金がない。そんな中でどうやって人を呼ぶのか。何に価値を見いだすのか。どうやって客の心を惹きつけるのか。そんなミッションインポッシブルと、謎の男が薄氷を踏みながら素早い計算とアイデアで解決していく様子がドキドキさせてくれる。町おこしの、商売の、それより、人の能力を集めて活かすための些細なヒントが散りばめられている。

ビリオネアガール

総資産160億。毎日デイトレードで稼ぐ18歳の女の子。その設定だけでもうお腹いっぱいだよね。だがそれがいい。

私の推定生涯年収は3億足らず。ちょっとぐらい夢を見たっていいじゃないか。

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20100818の読書メモ

2010-08-18 23:00 | 書評

星川銀座四丁目

私が熱狂的に大好きな漫画家の一人。玄鉄絢(くろがねけん)の最新作。柔らかいタッチの絵とニヤリとさせる粋なストーリー展開、それからセリフ使いの巧みさが魅力。もともと18禁のマンガを描いている人なんだけど、4年前に出た前作「少女セクト」はエロマンガというカテゴリでくくってしまうのが勿体ないくらいに素晴らしいのです。で、18禁じゃなくしてエロ要素を取り除いたらどうなるのかなとこのマンガを読んでみたら、やっぱり素晴らしい。女の子2人の生活が映画で撮ったかのように綺麗に流れてゆく。
話の内容は百合でロリ。ひらたく言ってしまえば何なのこの変態って話なんですが、小学校の先生が不登校の教え子を引き取って同居してて、2人の心はだんだん近づいていくというストーリー。とはいえ、相手は同性でしかも13歳年下の小学生(って言っても先生と同い年に思えるくらいに大人びてるんだけど)ということに苦悩するところが効果的に描かれてて、繊細な問題を丁寧に掘り起こして組み立てている。そこが素晴らしい。もともと私は百合ものに興味があるわけではないんだけど、この人の百合ものは大好きだ。

雷撃☆SSガール

一言で言うなら「ザ・マネーゲーム」な小説。主人公が女の子と出会い会社をどんどん大きくしていき、やがてはファンドを立ち上げて巨大なマネーゲームをしていくというお話。ライトノベルかと思いきや立派な経済小説(狼と香辛料も同じ方向性)。ストーリーを現実とリンクさせていて、なんかよくわからんけどフィクションなのに奇妙な説得力があるのが特徴。ITバブルやリーマンショックといった現実の話がそのままの時系列で出てくる。日本郵政とか実名で登場するし。で、話の根幹は陰謀論につながっていて世界を裏で動かしているブランフォート財団をぶっつぶすという目的のために主人公たちはマネーゲームで資産をどんどん巨大化させていく。作者が経営者らしく、小さな会社をどんどん大きくしていく場面はとても現実感があって面白い(特に1巻)。後半3分の2は話が壮大すぎて現実離れしていてよく分からない。真面目に読むと内閣情報調査室が社内に潜り込んでたり突然ロシア軍の部隊が命を助けてくれたりとか「ねーよwww」の連続だけど、終始エキサイティングで退屈しないことは保証したい。

モチベーション3.0

人は仕事をするとき、アメとムチのような外発的動機より「楽しい」とか「認められる」とかの内発的な動機の方が効果が高い場合があるよ、というお話。かつて労働者といえば工場労働者のようなブルーワーカーが多くを占めてた時代に作られたアメとムチの報酬体系。でも単純作業ではない頭脳労働ではアメとムチの報酬体系ではモチベーションを下げたり、せっかくの能力を生かせなかったりするということがある。というわけで今の時代の働き方には内発的動機を使った仕事の仕方が合っているというのが結論。Googleでやってる「20%ルール」とかの内発的動機でやる気を出すようなしくみが例として挙げられている。とりあえず考え方は分かった。でも実践するのって難しいね。思ったのは、これって極めると年功序列賃金に近くなるんじゃないないかと。個々人の能力が即給与に反映される(成果報酬制)んじゃなくて「憂い無く働けるだけの金額を支給する」という考え方で給与体系を決めると、ライフステージや家族構成によって出費額が違うから支給額もそこに合わせられて、つまりなんちゃら手当でゴテゴテ固められてる現状と同じになるね! と思ったのです。あと、残業代が支給されることが念頭に置かれてある日本の大企業みたいなところでは、恣意的に残業を増やして一時的な稼ぎを増やす裏技が使えなくなったりとかw

もやしもん

今さらながら全巻まとめ読み(9巻まで既刊)。おっさんは読め! もう一度言う。おっさんは読め! 菌がテーマなだけあって発酵食品が目白押し。ビール、ワイン、納豆、チーズ、鰹節、味噌、ヨーグルト、泡盛、どぶろく、日本酒、マッコリ、キビヤック、ホンオフェ、シュールストレミング、ほーら腹が減ってきた。発酵食品のうまさが分かるのはおっさんの特権。後半は話が脱線気味で菌が関係なくなってきているけど美味しい食べ物さえ出てくれば文句は言わないよ。ところでストーリー中に唐突にゴスをロリったり、801ったり百合ったりと奇妙なサービスカットを織り交ぜてくるのは何とかならんものか。

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20100720の読書メモ

2010-07-20 00:24 | 書評

最近あまり更新してないので、普通に記録などをば。

スプートニク

なんだか世間ではクドリャフカクドリャフカと騒いでいるようだったので、クドリャフカといえばスプートニク計画だろ常考…ということで購入。ちなみにクドリャフカとはスプートニク2号に乗っていた所謂「ライカ犬」の名前とされるものの一つ。

そもそもこの本を知った発端は新居昭乃の歌う「スプートニク」という曲。この曲は愛しい人と別れてしまった悲しみを地球に帰って来られないクドリャフカの悲しみに重ねて歌っている素敵な曲だ。曲中では何度も「クローカ」と名前を呼ぶ部分があるが、その「クローカ」とは1968年(クドリャフカが宇宙に行った11年後のこと)に打ち上げられたソユーズ2号に乗っていたとされる犬の名前だ。曲中でクドリャフカはクローカに「僕は戻ってこられないけれど、君だけはきっと還って」と伝えていて、それがいっそうこの曲を悲しいものにしている。残念ながらそのクローカは、クドリャフカ同様に地球に還ってはこれなかったのだけれど。

さて、ソユーズ2号に”乗っていたとされる”という変な言い回しを使ったけれど、実はソユーズ2号に犬が乗っていたというのはフィクションのお話。その元ネタとなっているのがこの本。無人飛行したはずのソユーズ2号にはイワン・イストチニコフという一人の宇宙飛行士とクローカという一匹の犬が乗っていたという設定で、豊富な資料と詳細な記事でその全貌を解説している。一人と一匹は何らかの理由で“いなかったこと”にされ、公式的にはソユーズ2号は無人飛行を行ったことにされているという。フィクションとは言え、数え切れないほどの前科があるソ連ではあながち無い話とも言えないところが恐ろしい。

リューシカ・リューシカ

作者買い。久しぶりにググッときた。一言で言うと「よつばと!を安倍吉俊が描いたらこうなった」。ニア・アンダーセブンや同人誌などでの安倍吉俊のギャグ描写は秀逸なので、商業誌で復活しないかずっと待っててようやく来た感じ。よつばと!はわりと客観的な視点で淡々と描かれているのに対して、これはリューシカの考えている内容も描写されてリューシカの視点で進行していく。子供の頃、夜中に起きて家の中を歩くとテレビ台に光る待機電源がこちらを睨んでいるように見えたり、冷蔵庫が上から襲いかからんばかりに見えたりとかしたけど、そういうところが効果的に描かれていて面白い。そしてギャグも炸裂。

図説「愛」の歴史

語られないけれど知っておきたい教養。現代でも一夫多妻や多夫一妻という家族形態は45カ国で認められている(その45カ国で世界人口の3分の1を占める)という事実。キリスト教が再三にわたって一夫一婦制を普及させようとした結果、欧州で一夫一婦制が多数派になったという歴史。そして一夫一婦制の普及のために何度も何度も重婚の禁止を宣言してきた教会。あるいは同性愛の結婚制度の実例や、2005年にオランダで誕生した同性愛と異性愛が共存した三角結婚の例など。倫理観や常識などというものは時代の流れでどうとでもなってきたのがよく分かる。たとえば20年後に一夫一婦の結婚制度が崩壊していても驚くようなことじゃない。

ルワンダ中央銀行総裁日記

1965年からの5年間、IMFから派遣されてルワンダ中央銀行の総裁を務めた著者の記録。一国の中央銀行総裁(とはいっても国の中に商業銀行は一つ、全国物流会社も一つしかないような小国)でありながら国内外の状況を末端まで観察し、理解し、推測し、現実的で効果的な政策を次々と立ててゆき、自立可能な財政と健全な経済を実現させていった成功ストーリー。綿密な計画と周到な準備がすばらしく、経済・財政のケーススタディとして教科書に載ってもよいような見事な記録。外貨準備、税制、通貨切り下げ、為替二重レート、モノカルチャー経済、物価統制、法人制度、公共交通網整備、物流網整備、農業政策、行員教育などなどについて所見と対策、対策の効果について丁寧に解説されている。

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[書評]ニッポンの評判

2008-11-16 18:25 | 書評

ニッポンという国、あるいはニッポン文化が世界中でどのように評価されているのかを各国に暮らす人々の視点で寄せ集めた本。

登場するのは、オーストラリア、ロサンゼルス(US)、イタリア×2、ブラジル、マレーシア、トルコ、トンガ、オランダ、ドバイ(UAE)、ニュージーランド、フィンランド、イラン、ドイツ、ウィーン(オーストリア)、イギリス、フランス。全17章。

日本に対する評判は各国さまざまで、それぞれの地域のそれぞれの事情によって評価されている。全体を通して「だから日本は優れた国だ」とか「だから日本は特異な存在だ」とか「だから日本は世界の嫌われ者だ」とかいう統一感は一切無い。どの国の事情を見ても、2つとして日本へのイメージが同じな国はない。

たとえばブラジル。ブラジルは日本が大量に移民した国と言うことで、日本文化が国の中に溶け込んでいる。移民100周年がサンバカーニバルのテーマになるほどだ。

続いてオーストラリア。第二次世界大戦では唯一侵攻を受けた国として、また、白豪主義の風潮の流れで黄色人種の一つとして評価は低かったが、移民として流れ込んだ日本人の評判が良かったことで評価されるようになった。また、観光、貿易ともにお互いに存在感が大きい。

そしてトルコ。ヨーロッパに入ろうとして入りきれない国の事情に、欧米に続き先進国の仲間入りを果たした日本という存在は憧れの存在で見られる。また、明治時代に起きた「エルトゥールル号遭難事件」の美談のイメージが強く、「スシ、ゲイシャ」程度のイメージしかないながらも日本に対して世界でもっとも好意的な国でもある。

特異なのはロサンゼルス。アメリカの一部ながらもっとも日本に近い地域で、数多くの日本企業が進出している。ここでは日本は「国家」としてとらえられていない。日本の平凡なローカルニュースが話題になるほどで、「近所の一地方」あるいは「隣の文化都市」くらいのイメージだ。日本文化を日本文化としてくくらず、それぞれの要素をそれぞれにとらえている。

日本という存在の特異さはそのポジションにある。序盤から引用する。

 先進国の西洋人は、対等な友人として日本人を見ている。経済的に遅れている国から来る西洋人は、先進国の西洋人との微妙な距離感が似ていると思うのか、話しやすい存在だと見る人が少なくない。そして非西洋人は、出身国と日本の経済力のあいだにどんなに大きな差があろうとも、自分たちと同じ非西洋人の仲間だと思っている――。

日本という存在は、世界ではおおむね良いイメージを持たれている。それが多少のお世辞だったとしても喜ぶべきことで、誇るべきことだろう。しかし、その内容をよく見れば日本には弱みがあることに気がつく。経済と文化ばかりで、政治的な存在感がまるでない。これは現実として受け入れないといけない。

各国の事情に合わせた日本評価をみていると、日本という国家と、日本という文化と、日本という経済が綺麗に分けて考えられているのが分かる。フィンランドでは第二次世界大戦中にナチスと同盟した国として現在でも靖国問題、歴史教科書問題は少なからず関心が向けられるが、それが文化的経済的な評価につながることがない。オランダでも旧植民地に侵攻した国として憎悪する人々も存在するが、本国自体が旧植民地に対して不当な扱いをしていたという考え方もされており、ドライに扱われている。ロサンゼルスでは情報過多のために日本全体に対する固定イメージがないし、ドイツで熱狂的に村上春樹やマンガ文化を支持する人たちは実はそれらが日本から来たものだということを知らなかったりする。

だから日本の政治的立ち位置や、経済大国であることや、エキゾチックな文化大国であることのみを挙げて「これだから日本は」と論じることは無意味だ。それぞれの国で日本のイメージを左右するのは二国間の外交で、二国間の経済交流で、二国間の文化交流でしかない。そして、国の境界が曖昧になってきた現在では、それさえも「話のネタ」ぐらいにしかならなくなってくる。ODAをすれば「病院を作った国」、王族の居る国では「TENNOの国」、文化感度の高い国では「MANGAの国」。そんな一つの要素だけで構成されるイメージはこれからどんどん薄れていくだろう。

とは言え、いま「弱み」である国家外交の中でも、ODAと皇室外交には大きな意味があることがよく分かった。納税者として、日本人が海外で旅をするとき、あるいは仕事をするときの「安心料」として投資をしておくのは悪くないと思う。

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[書評]怖い絵

2008-11-03 14:41 | 書評

書評はじめました。
書評リレーに誰も続く人がいないので一人でやることにする。

ゴヤ、ムンク、ルーベンス、ピカソなどの名画を「怖い」という視点で集めた本。

その怖さといっても様々なものがある。
・スプラッタ的な怖さ
・心霊写真的な怖さ
・気持ち悪さ
・絵画を取り巻く経緯による怖さ
・絵画の中に籠められた隠れた意味による怖さ

ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」


(クリックすると拡大)

目を見開き狂気に満ちた表情をこちらに向けるサトゥルヌス。手に持った我が子はすでに頭部がなく、左手が今まさに食いちぎられそうになっている。見た者のだれもが戦慄する名画だ。

この絵はローマ神話の伝承が元になっている。

 サトゥルヌス(別名クロノス)とは、ギリシャ・ローマ神話における農耕神であり、また「時」をつかさどる神である。絵画では、大鎌を持つ老人の姿で描かれることが多い。その鋭い鎌で、草ばかりでなく、人間の大切な時間をも無慈悲に刈り取ってゆく、置いた巨人だ。
 そんな「時の翁」が、なぜ我が子を喰らうことになったかといえば――。
 世界の始まりのとき、大地の女神ガイアは息子の天空神ウラノスと交わって、巨神サトゥルヌスを産んだ。サトゥルヌスは長じて父を大鎌で去勢したあげく殺し、神々の上に君臨する。しかし父ウラノスの最期の言葉に――「おまえもまた自分の子供に殺されるだろう」――ずっと怯え続け、その予言から逃れるため、妹であり妻であるレアとの間にできた子どもたち五人を、次々自分の腹の中へおさめざるをえなかった(まさに全てを呑みこむ「時」のしわざそのもの)。

この絵は見た目の怖さだけにはとどまらない。ゴヤという芸術家の体験した地獄がこの絵と同時期に描かれた一連の作品に現れている。スペインの寒村に生まれたゴヤは18歳で首都マドリッドへ出た後にスターへの道をのし上がっていく。明るい風俗画で人気を博し、34歳でアカデミー会員、40歳で王付き画家になった。しかし46歳の時、原因不明の高熱で聴覚を失ってしまう。これに引き続き悲劇が始まる。隣国フランスで革命が起こり、ナポレオン軍の侵攻を受けたスペインは長い間混乱に陥ることになった。戦争ばかりではなく異端審問が復活し、弾圧の時代が幕を開けた。拷問や処刑などが当たり前のように繰り広げられ、ゴヤはそれらをじっと見つめ続けて作品にしていった。72歳のとき、ゴヤはマドリッド郊外の別荘「聾者の家」へ閉じこもる。4年後に彼がここから旅立っていった後には14点の絵が残された。キャンバスにではない。漆喰の壁に直接描かれていた。今では「黒い絵」と呼ばれる一連の作品はいずれも陰惨な題材が使われていた。

この後、82歳で死ぬまでの間に描いた絵はいずれも穏やかなものだった。彼自身が体験した地獄からのリハビリのためにこの絵は描かれたのかもしれないが、真相は分かっていない。

カレーニョ・デ・ミランダ「カルロス二世」


(クリックすると拡大)

絵の中にはとりたてて怖いところはない。しかし、奇妙な違和感がある。カルロス二世があまりにも不健康に見えるのだ。事実、カルロス二世は病気だった。「呪いを掛けられている」と言われるほどに。

スペイン・ハプスブルク家に待望の跡継ぎとして生まれたこの子どもは成長が異常なまでに遅かった。3つになってもまだ乳を飲み、立つことすらできず、知能も低く、見た目もひどかったという。父であるフェリペ4世はこの息子を人前に出すことを嫌がり、どうしても人前に出さなくてはならない時は穴の開いた布をすっぽりと顔に被せていたらしい。まるでスケキヨだ。そして呪いを解くために周囲には乳母のほかに大勢の医者、占星術師、祈祷師がいた。やがて彼は父の死に伴い、4歳でカルロス二世として即位した。摂政となった母親は政治に無関心で、実際には大臣たちが国の舵取りをすることとなった。

ここに描かれた姿は多少の美化がなされているとは言え、お世辞にも美しいとは言い難い。

 宮廷肖像画の宿命として、二、三割アップは目をつぶる範囲であろうが、どうやらこの絵はそれをはるかに超えたものだったらしい。
 とはいえ、少年王がハプスブルク家代々の特徴を受け継いでいることは、控えめながらも表現されている。父も祖父も曽祖父も高祖父も持っていた、突き出た下顎と分厚い下唇(マリー・アントワネットの受け口にも微かに継承されている)がそれだ。その上カルロス二世は細い弓なりの顔、長く垂れた鼻、全く噛み合わない歯(終始、よだれを流していたという)、ほとんど太陽光を浴びなかったせいで病的に青白い肌――たとえ唇に紅をさしても、幽鬼の如く暗がりにぼうっと白く浮かび上がるその姿に、言いしれぬ戦慄を覚えない者はいないだろう。髪だけが若々しい美しさに波打っている。

この「呪われた子ども」が生まれたのには理由がある。スペイン・ハプスブルク家は異常なほどに近親婚を重ねていたのだ。カルロス一世の退位後、息子のフェリペ二世(いとこ婚による)が跡を継いだ。フェリペ二世の跡継ぎ(フェリペ三世)は実妹の娘である姪との間にできた子供。しかもこの姪自体、いとこ婚によってできた娘だという。フェリペ三世はいとこの娘と結婚し、その息子フェリペ四世には世継ぎができなかった。焦ったフェリペ四世は実妹の娘と結婚し、生まれたのがこの絵に描かれたカルロス二世だ。

 初代カルロス一世+いとこ→二代目フェリペ二世+姪(いとこ婚した実妹の娘)→三代目フェリペ三世+いとこの娘→四代目フェリペ四世+姪(実妹の娘)と、今に生きる我々におぞけをふるわせる四連続である。五代目がどうなるかといえば、ふつうなら七代さかのぼると百三十人近くいるはずの先祖の数が、わずか三十二人。母の母、つまり祖母に当たる女性は、祖母であると同時に叔母でもあるという、きつい血縁のもつれに首を巻かれるはめになる。

 カレーニョ・デ・ミランダの隠蔽工作は、成功したとは言い難い。カルロス二世像は、血族結婚くり返しの果ての悲劇を自ずから語っている。王権神授説を無条件に信じる王族たちは、自分たちを神に選ばれた特別な人間とみなし、下々の者の血で穢されてはならないと、身内の狭いサークルだけで婚姻をくり返して、ついには自らの汚物の堆積で流れを止めたドブ川のように行き詰まってしまった。そのなれの果てがこれなのだ。

この後、スペイン・ハプスブルク家は彼の死をもって断絶する。その後、フランスのブルボン王家からフェリペ五世が呼び寄せられ、スペイン・ブルボン家が始まることとなった。この絵が描かれてから約25年後のことだ。

他にも夢に出てきそうなものがいくつも出てくる。

ルドン「キュクロプス」


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ベーコン「ベラスケスによる<教皇インノケンティウス十世像>習作」


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この本は企画の勝利だ。私は名画の楽しみ方について何も知らないが、こうして一つの切り口で集められると面白さが分かる。とっかかりの解説本としては気軽に楽しめて良いのではないだろうか。

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