[書評]ウチのシステムはなぜ使えない SEとユーザの失敗学

2008年9月3日

書評リレーやるよ。とりあえず言い出しっぺということで第1回。

「ウチの会社の業務システムはなぜこんなに使えないの?」と嘆いている人のために、そのシステムがいったいどのような行程を経て作られるか、あるいはシステム開発に関わる「SE」とはいったいどんな仕事をしているかに視点をあて、システム開発で陥りがちな失敗を解説した本。ただし、全ページにわたってたっぷりと皮肉と風刺が含まれているのでSEで洒落の通じない人は読まないように。「SE」と呼ばれて心当たりのある私が読んだ分には終始苦笑の連続だった。なかなかに笑いのセンスが光った希有な本だ。
内容は第1章から第3章まで分かれており、第1章ではそもそも「SE」とはどのような人なのか、どんな風に仕事をしているかについて説明している。まずSEを開発系と運用系に分け、開発系のポジションを上位のシステムコンサルタント、プロジェクトマネージャから下位に位置するプログラマまで順に紹介。SEとは顧客の要求をかみ砕くポジション、プログラマはかみ砕いたものを動くようにするポジションというふうに大ざっぱに説明している。
そして特筆すべきは、システムに関わるポジション同士の力関係にまで言及していることだ。業務オペレータは運用系SEにとって神だ。彼らは朝の4時だってシステム問い合わせと称して人をたたき起こせる存在だ。営業にとって顧客は神だ。顧客が望むなら自社にない技術だって実現させることを約束する…たとえSEが何と言おうとも。SEにとってプログラマは油断のならない存在だ。設計通りに作らない。プログラマにとってSEは油断のならない存在だ。自分のクリエイティブ性を発揮させてくれない。運用系SEにとって開発系SEは油断のならない存在だ。バグを仕込むだけ仕込んでおいてカットオーバーしたらトンズラする。もはや苦笑するしかない。まったくその通りだ。
さらに、運用系SEは開発系SEより評価されにくいという構造的問題(何事も起きないことが成果になるのだから当然だ)や、人材不足のプログラマを甘い言葉で釣っていく業界構造が招いた悲劇まで解説している。そして最後にこう締めている。

本書で想定している主読者である顧客の方々は、IT企業の構成員たちはこんなに壊れているのか、と不安に思われたかもしれない。実際にはこれ以上に壊れているので、本書は準備運動のお手伝いをしている程度である。
だが、彼らは壊れてはいるものの基本的には善良であり、付き合い方さえ間違えなければ得難いビジネスパートナーになってくれるだろう。

第2章ではシステム開発時の方法論と、実際に発注する際の手順、開発会社の選定方法や要件の伝え方、見積もりの評価や検収時の注意点などについて解説している。顧客の立場として最低限知っておくべきことはだいたい書かれてある。そして注目すべきは賢そうな横文字単語が出てきた場合についても少し説明していることだ。たとえば「オブジェクト指向で作っているので、高機能です」としたり顔でアピールする営業へのツッコミポイントは、オブジェクト指向は開発時のソース利用効率を上げるための方法であり、機能とは関係ないということ。そして、あくまで開発側の効率を上げるためのものなのでユーザには関係がないということだ。ということで、次のように切り返すことを提案している。「使い回し指向で作っていただいているわけですから、構築費用はお安くなりますよね?」。こう言ったところでおそらく効果はないだろうが、少なくともだまされないためにある程度の知識は持っておくことを説いている。
そして第3章は傑作だ。ケーススタディとして『web5.0』(!)的技術を駆使したシステムを開発して崩壊するまでの過程を物語風に書いている。「Web5.0! いったいどの前頭葉を強打すればそのような言葉がまろび出てくるのか」という暴走営業に対するSEのツッコミや、「今回の案件などどうでもよいのだ」と部下に言い放つ顧客企業のCIOなど、もはやケーススタディというよりただの喜劇台本にしか見えない。しかしここまでいかなくてもシステム開発を遠くから冷静に眺めてみると、全員が協力してコントを演じているようにしか見えないから不思議だ。
システム開発での失敗事例や注意点について解説した本は数あるが、この本は初めてシステム発注する顧客に向けて最初の一歩を簡単に解説したよい本だ。しかし繰り返すが、SEの立場として読むならばひたすら皮肉られているだけで目新しい発見もないので苦笑するしかない。ギャグだと割り切って読むぶんには良いかも知れない。
最後に、よく知られたシステム開発のジョークを一つ紹介する。
System development joke
自分の関わるシステムがこうならないよう祈るばかりだ。…いや、十中八九はこうなるんだが。

ファンタジー世界の経済学入門――狼と香辛料

2008年6月30日

これは久々に来た!!!(毎度言ってますが) ただいま2巻まで読了。
主人公は旅の商人。町から町へと品物を運ぶ行商のひと。そして一緒に旅をしているのは狼の少女。何百年と土地の守り神をつとめ、故郷へと帰ろうとしている賢狼(たまに変身)。ストーリーのメインは旅道中での取引と、そこから始まるトラブルの話。見所は経済ネタと心理戦が7割、ケモノ耳萌えが3割
この物語が面白いのは、何と言っても中世風ファンタジー世界の経済構造についてとことん具体的に記述されているところだ。第1巻ではマネーサプライについての投機話から、第2巻ではデリバティブ取引の失敗から話が始まる。商品を手に町から町へと渡り歩く都合上、しょっぱなから為替の解説が入る。続いてマネーの需給、リスクヘッジ、コスト構造、関税対策、価格交渉、教会ビジネス、組合組織、レバレッジ効果、戦争特需、破産などなど経済ネタをふんだんに織り交ぜながらストーリーが進行する。
特に仕入れた商品を納入するときの価格交渉の駆け引きが実に面白い。テクニックの飛び交う心理戦で面白いように値段が変わり、立場の強弱が釣り合うところで決着が付く。いや、そんなことは現実の対面取引では当たり前の話なんだろうけれども、それがライトノベルのファンタジー世界で展開されてメインのストーリーに絡んでいくというのが斬新で興味深い。まさにアイデアの勝利。新ジャンル「ファンタジー経済小説」というラベルを貼り付けてもいいくらいだ。
「萌」要素もしっかり。二人の関係はある時は商売のパートナー、ある時は債権者と債務者、またある時は恋仲っぽくなったりところころ変わり、そのたびの二人の言葉の駆け引きも価格交渉と同じくらい面白い。会話の主導権を握るための言葉の応酬はまるでポーカーの勝負でも見ているかのようで、互いに手札を握って掛け金を積み上げながらカードを切っているという表現がもっともよく当てはまるだろう。そして、それは価格交渉で立場の強弱の探り合いをしているのと同じ構図だということに気がつく。商人は何気ない会話さえ商売として楽しんでいるかのようだ。互いの信頼関係の上で交わされる小気味よいやり取りは何度読み返してもニヤニヤしてしまう。
ストーリーは全体的によく練り込まれており、たくさんの経済ネタを入れつつすべて伏線として回収している。そしてケモノ耳。そしてしっぽ。そして桃の蜂蜜漬けと葡萄酒と羊の干し肉と大量のりんご。そして忘れてはいけないのが香辛料。もちろん本物の狼に変身するというファンタジー要素も忘れていない。経済をメインに据え、ファンタジーと冒険がほどよくバランスされた希有な一冊だ。

最近こころ奪われた漫画とアニメ

2008年5月28日

ARIA

(漫画版:全12巻、TVアニメ版第1期:全13話、TVアニメ版第2期:全26話、OVA版:全1話、TVアニメ版第3期:全13話)
2007年度に読んだなかで最高漫画大賞を贈りたい。アニメも2007年度の最高アニメ大賞を贈りたい。これは久々に来た!(涼宮ハルヒの時も同じようなこと言ってるが)
テラフォーミングされて地球と同じ環境になった未来の火星のお話。とはいえ、先進技術とかはあまり出てこずに、ひたすらヴェネチアの町並みとのんびり暮らす人々が出てくる。一話完結の小さなドラマが連なって、未来の水先案内人たちの成長物語になっている。全編に恥ずかしいセリフ(w と美しい風景がこれでもかこれでもかと出てきて、まるで写真集を眺めているよう。アニメーションの音楽も最高に良くて、もう2ヶ月以上ヘビーローテーションで聞いている。(涼宮ハルヒの時も同じようなこと言ってるが)
だめだ、この作品をうまく表現する能力をいまの私は持ち合わせていない。ただ、うつくしい。そして、なごむ。それから、ヴェネチア行きてぇ。よーしパパ火星がテラフォーミング完了するまで1万年と2千年でも長生きして見届けてやるぞー、と。

王立宇宙軍

1987年公開の劇場版アニメ。地球によく似た架空の世界で、人類初の有人ロケット打ち上げを実現するという映画。これを制作するためにガイナックスが作られた。歴史的名作と名高いだけあって、打ち上げ直前に隣国が攻め込んでくる様子など、躍動するシーンはどれも圧巻。遠い異国の感じが不思議に懐かしい感じがして、メカ要素もふんだんにあって、と全体的に宮崎アニメのような感じ。しかし何が一番心揺さぶられるって、24歳の監督とそのほか若手のスタッフで作り上げた作品だということ。まあ、自分が今まさに24歳だからというところが大きいのだろうけども。

鈴木先生

(全11巻)
ある中学校教師を主人公に教育問題を描いたお話。金八先生的に一定の調和と良い話でまとめられるほど現場は単純じゃない、という容赦のない現実がこれでもかと詰め込まれている。そして次から次へと降りかかるクラスの問題、と職場環境の問題とプライベートの問題。うろたえる鈴木先生。思い悩む鈴木先生。翻弄される教師と問題を抱えた何人もの生徒達を見ながら、ページをめくるたびにドキドキが止まらない。これほど心臓がバクバクしながら読み進められる本は岡本太郎の著作とこの漫画ぐらいだ(けっこう狭いな)。
表紙を見れば分かるとおりに絵は好き嫌いが分かれるところだが、人の混乱した表情、激昂した表情、うろたえた表情を見事に描ききっていて、見ているコチラが猛烈に不安をかき立てられる。まさにジェットコースターのようだ。そして、ここで描かれている問題は現実の教師が直面している問題と同じだ。これほどの怪作はない。

砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない

(単行本版、文庫版、漫画版全2巻)
高校生の少女が家庭内暴力の末に切り刻まれて捨てられるだけの話。おわり。
…という感じでライトノベルの軽い感じを生かして、絶望的な環境に生きながらそれを自分で正当化して妄想の世界を作ってしまった少女の物語をただ淡々と描いている。主人公の少女は冷静にそれを見つめて、ひたすら虚無感を述べているだけ。しかし、これほどじわじわとダメージの来る絶望感はない。終盤で少女はあっさりと殺され、ゲームは終わり、主人公の少女はそれを簡単な言葉で締めくくる。全ページにあふれる諦観。希望などどこにも見えない。正常な感情を持った登場人物は生徒の死を知って後悔する担任教師だけで、ほかはみんな異常。でも殺人事件を連日報道するワイドショーばかり見てると、この話も「普通のこと」と思えてくるから不思議。それだけ、作り話のような事件に慣れてしまったと言うことだろうか。
原作の小説版はとっくに読んで絶望済みだけれど、漫画版が出て絵付きでもう一度触れてみると別の絶望感が込み上がってくて新鮮だった。ああ、人の瞳だけでここまで絶望を表現できるのだな、と。

蛇足

二匹目のドジョウを狙ってメイドロボねた。

老人とメイドロボ
短いお話だけど、「メイドロボ」というキーワードから思い起こされるヲタの共通認識をうまく押さえた良作。やはり「自我」と「感情」というテーマ抜きに語ることは出来ない。まるちしかり。まほろさんしかり。ちぃしかり。メカ沢(以降のエントリは省略されました)

春琴抄 ~明治文学に見るツンデレ

2006年6月20日

今日は1冊の小説を紹介したい。
彼女の名前は春琴。容姿端麗にしてお嬢様。小さい頃から才能に恵まれ、勉強を教えればたちまち2人の兄を追い抜いてしまうほどで、舞踊を教えれば師匠も舌を巻くほどであったという。しかし9歳のときに光を失い、それからは三味線の道を選ぶことになった。
そして彼の名前は佐助。もともとは彼女の家に丁稚奉公していたが、彼女の手を引いて三味線の師匠に連れて行く役を何度か仰せつかる内に気に入られたようで、後々一生を共にすることになる。
と、こんなところから始まる2人のお話なのだが、別に普通のラブストーリーではない。どちらかというと「お嬢様と下僕」のお話である。しかもこのお嬢様、かなりのツンデレ
「べ、別に好きであいつに教えてやってるんじゃないんだからねっ。毎晩熱心に三味線の練習してるもんだから、ちょっと可哀想になって付き合ってあげてるだけなんだから!」(脳内現代語訳。以下同様)
ときは春琴11歳、佐助15歳のことだった。のちに妊娠が発覚するが、彼女は父の名前を言おうとしない。周囲は佐助が相手だと判断して結婚するようにし向けるが、
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