[書評]ニッポンの評判

2008年11月16日

ニッポンという国、あるいはニッポン文化が世界中でどのように評価されているのかを各国に暮らす人々の視点で寄せ集めた本。
登場するのは、オーストラリア、ロサンゼルス(US)、イタリア×2、ブラジル、マレーシア、トルコ、トンガ、オランダ、ドバイ(UAE)、ニュージーランド、フィンランド、イラン、ドイツ、ウィーン(オーストリア)、イギリス、フランス。全17章。

日本に対する評判は各国さまざまで、それぞれの地域のそれぞれの事情によって評価されている。全体を通して「だから日本は優れた国だ」とか「だから日本は特異な存在だ」とか「だから日本は世界の嫌われ者だ」とかいう統一感は一切無い。どの国の事情を見ても、2つとして日本へのイメージが同じな国はない。
たとえばブラジル。ブラジルは日本が大量に移民した国と言うことで、日本文化が国の中に溶け込んでいる。移民100周年がサンバカーニバルのテーマになるほどだ。
続いてオーストラリア。第二次世界大戦では唯一侵攻を受けた国として、また、白豪主義の風潮の流れで黄色人種の一つとして評価は低かったが、移民として流れ込んだ日本人の評判が良かったことで評価されるようになった。また、観光、貿易ともにお互いに存在感が大きい。
そしてトルコ。ヨーロッパに入ろうとして入りきれない国の事情に、欧米に続き先進国の仲間入りを果たした日本という存在は憧れの存在で見られる。また、明治時代に起きた「エルトゥールル号遭難事件」の美談のイメージが強く、「スシ、ゲイシャ」程度のイメージしかないながらも日本に対して世界でもっとも好意的な国でもある。
特異なのはロサンゼルス。アメリカの一部ながらもっとも日本に近い地域で、数多くの日本企業が進出している。ここでは日本は「国家」としてとらえられていない。日本の平凡なローカルニュースが話題になるほどで、「近所の一地方」あるいは「隣の文化都市」くらいのイメージだ。日本文化を日本文化としてくくらず、それぞれの要素をそれぞれにとらえている。
日本という存在の特異さはそのポジションにある。序盤から引用する。

 先進国の西洋人は、対等な友人として日本人を見ている。経済的に遅れている国から来る西洋人は、先進国の西洋人との微妙な距離感が似ていると思うのか、話しやすい存在だと見る人が少なくない。そして非西洋人は、出身国と日本の経済力のあいだにどんなに大きな差があろうとも、自分たちと同じ非西洋人の仲間だと思っている――。

日本という存在は、世界ではおおむね良いイメージを持たれている。それが多少のお世辞だったとしても喜ぶべきことで、誇るべきことだろう。しかし、その内容をよく見れば日本には弱みがあることに気がつく。経済と文化ばかりで、政治的な存在感がまるでない。これは現実として受け入れないといけない。
各国の事情に合わせた日本評価をみていると、日本という国家と、日本という文化と、日本という経済が綺麗に分けて考えられているのが分かる。フィンランドでは第二次世界大戦中にナチスと同盟した国として現在でも靖国問題、歴史教科書問題は少なからず関心が向けられるが、それが文化的経済的な評価につながることがない。オランダでも旧植民地に侵攻した国として憎悪する人々も存在するが、本国自体が旧植民地に対して不当な扱いをしていたという考え方もされており、ドライに扱われている。ロサンゼルスでは情報過多のために日本全体に対する固定イメージがないし、ドイツで熱狂的に村上春樹やマンガ文化を支持する人たちは実はそれらが日本から来たものだということを知らなかったりする。
だから日本の政治的立ち位置や、経済大国であることや、エキゾチックな文化大国であることのみを挙げて「これだから日本は」と論じることは無意味だ。それぞれの国で日本のイメージを左右するのは二国間の外交で、二国間の経済交流で、二国間の文化交流でしかない。そして、国の境界が曖昧になってきた現在では、それさえも「話のネタ」ぐらいにしかならなくなってくる。ODAをすれば「病院を作った国」、王族の居る国では「TENNOの国」、文化感度の高い国では「MANGAの国」。そんな一つの要素だけで構成されるイメージはこれからどんどん薄れていくだろう。
とは言え、いま「弱み」である国家外交の中でも、ODAと皇室外交には大きな意味があることがよく分かった。納税者として、日本人が海外で旅をするとき、あるいは仕事をするときの「安心料」として投資をしておくのは悪くないと思う。

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