電気の恋人 ~ドラえもんの誕生日に寄せて

2012年9月3日

2112年9月3日はドラえもんの誕生日。
今日からちょうど100年後だ。
ドラえもんの居る世界は日常になるか?(はかせとドラえもん)
唐突だが、聴いているうちにどうしても泣いてしまう電波ソングがある。
もしあなたが1980年代~90年代のコンピュータ世界を知っているなら、私と同じように涙ぐんでしまうかもしれない。(あるいは人によっては、電波ソング特有のアニメ声やピコピコ音が耳障りに聞こえるかもしれないけれど)
電気の恋人 I am Programmer’s Song
http://www.sham.jp/studio/sound/denki/index.shtml

(※試聴サイト。1番のみ)
Heartsnative 03 電気の恋人 -I am Programmer’s Song-
https://www.youtube.com/watch?v=6iyAb272cCo

(※初音ミクによるアレンジ版。フル歌詞)

この歌は歌詞が秀逸なのだ。

僕の家に それは突然現れた
黒い顔した 未来の箱がやってきた
パパの机に どっしり居座って
ときどきパパと おしゃべりしてたんだ
恐る恐るスイッチ入れたら 無愛想な”OK”の2文字
「konnnichiwa」って入力しても “Syntax Error” 何それ? 読めない…
図書館で借りたハンドブックで 覚えたてのベーシック文法
ゼロの世界に夢を描くよ 僕ら幼い電気の申し子

おそらく経験者が多いだろう「自分の家にはじめてコンピュータがやってきた日」のことを、この歌はノスタルジーあふれるピコピコサウンドを使いながら古い記憶を思い出すかのように語っている。
私の場合、それは1996年の夏のことだった。うちに来たそいつはNECのPC-9821というWindows95搭載PCだった。操作はGUIだったから「おしゃべりしてた」というようなコマンド入力ではなかったけど、そのうちブートローダをいじってWindowsを起動させずにN88-BASICをいじるようになった。起動直後の”OK”の2文字も、”Syntax Error”に戸惑ったことも、図書館でBASICの本を借りたりしたことも覚えている。
それはかつて1940年代の人類が、真空管や配線で包まれた無機質な部屋でおどおどしながら始めた「電子計算」というものを、13歳の少年がそのとき初めてなぞった瞬間だった。

歌詞は2番へ続く。

未来の国では ロボと人とは友達で
チューブの中を 光の速さで移動する
未来のロボに 教えてあげたいな
ご覧よあれが 君らのご先祖さ
データはみなテープにダビング 読み込むのに早くて10分
PSGでやっと3和音 それでも感動してたあの頃

未来のロボと言えば、古くは鉄腕アトム。その後続いたサイボーグ009、C3PO。あるいは時代は下って、ドラえもん、アラレちゃん(Dr.スランプ)、ターミネーター、マルチ(ToHeart)、まほろ(まほろまてぃっく)、etcetc…。これまで空想世界には人造人間(アンドロイド)がたくさん作られた。もし科学技術がこのまま発展を続けるなら、いつかこれらの自律型人造人間は現実に登場することになるだろう。
そしてその時、ENIACも、アポロ宇宙船の8bitコンピュータも、13歳の少年が触れたPC-9821も、あなたや私がいま使っているPCや携帯電話、スマートフォンも、そしてこの先開発されるだろうコンピュータたちも彼らのご先祖になる。トランジスタ、パンチカード、テープメディア、フロッピーディスク、今や時代遅れになった技術のことをあなたは骨董品だと笑うかもしれない。でも、それら無くしては今日の世界は成り立たなかった。そして同じように今私たちの周りにある技術は、いつか来たる世界の「未来のロボ」につながる世界には無くてはならないものだ。

歌詞は短い3番(省略)と間奏の後、サビのメロディを繰り返しながら語り続ける。

膨大な知識の電波は すべてを知ってるわけじゃないから
新しいことまだ見つけられる 宇宙の果てに広がってゆける
2003年4月7日に 未来のロボが生まれなくても
2112年9月3日は まだまだ分からないのさ

科学技術には大前提がある。技術は発展しなければならない。知識は蓄積されなければいけない。つまり今日より明日がよいものでなくてはならない。そのための方法論と蓄積された知識が科学であり、その前提を共有するならこの歌の価値が分かることと思う。
はたして宇宙の果てに広がっていくことが良いことか悪いことか分からない。この方向に進むことによって私たちが幸せになるかどうかも分からない。でも、そんなことはおかまいなしに未来には本当に宇宙の果てに広がっていくことになるだろう。「知らない」ことを「知る」に変えるという人間の単純な欲求のために。
2003年4月7日は鉄腕アトムの誕生日だ。1950年代に未来のロボを考えたかのマンガ家は、50年後の世界と50年間の科学技術の発展に夢を託した。しかし残念ながら50年では間に合わなかった。現実世界の2000年代を代表するロボットといえばASIMOだが、かれは優しい心を持つわけではないし十万馬力でもない。50年間の技術発展ではそれを実現するには酷すぎた。でも2003年に間に合わなかった彼らロボットが今この瞬間に、あるいは明日に登場しないとは限らない。
…いや、さすがに明日はないかもしれない。でもたとえば10年後のASIMOは激しいダンスができるようになっているかもしれない。5年後のスマートフォンはすべての操作を音声でできるかもしれない。来年のYouTubeには初音ミクが自分で考えながら喋っている動画が出てくるかもしれない。ほら、ちょっと希望が見えてきた。
“2112年9月3日は まだまだ分からないのさ”
この記事の冒頭で述べたように、2112年9月3日はドラえもんの誕生日だ。あとちょうど100年。はたして100年でドラえもんのような高度なロボットが登場するだろうか。でも、もし100年が無理だったとしても確実に進歩を続けていればいつか辿り着く。今まで何人もの人がそれを信じてきてやってきたし、これからもその調子できっと実現できるだろう。夢の世界にいたのは鉄腕アトムやドラえもんだけではない。攻殻機動隊は2030年の世界だし、シャロン・アップル(マクロスプラス)は2039年デビューだ。かつて描かれた「未来の世界」にはまだまだ時間はあるし、これから先も夢の世界にたくさんの「来たるべき」コンピュータが追加されていくだろう。
たかが機械。されど機械。
小惑星探査機はやぶさをテーマにした某映画の劇中では、探査機に感情移入する技術者に対し同僚が「たかが機械だろ」と言うシーンがある。それは何も不思議なことではない。無機物はあくまで無機物。機械には愛情や信頼は通用しない。しかし、それとは別のレイヤーでやはり科学技術に関わる人たちは感情移入をするのだ。それは機械そのものではなく、構成された「技術」に対して。あたかも親が子供を慈しむように、朋友に語りかけるように、恋人に愛を囁くように。
手を掛けて結果が出るか分からない。結果が出るのもいつになるか分からない。でも手を掛けなければ何も起らない。それは子供を育てたり、人との関係を作ったりすることに似ている。だから感情移入することは別に特別なことではない。コンピュータは、科学は、技術は、研究成果は、私たちの育てた子供なのだ。そして親友であり、恋人なのだ。

歌詞はタイトル通り「電気の恋人」という言葉で締めくくられる。

たった60年の昔から 幾度となく夢積み重ねたね
夢と科学で未来を変える 僕らはみんな電気の恋人

私たちの文化では子供や親友にはあえて言葉を尽くすことはしないが、恋人にはラブソングを歌う。この歌はラブソングという形を借りたコンピュータへの愛情表現といえる。科学技術に囲まれた現代人の一人として、この歌に私は涙せずにはいられない。
ドラえもんのようなロボットは、いつか実現すると思う。

参考

「電気の恋人」についての解説はこちらを参考にした。
電気の恋人 : モエデンパダイゼンシュウ

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