明るい返済計画 2008 中間報告1

2008年11月17日

明るい返済計画 2008開始から1ヶ月。
未読が全然減ってない。年度末までに未読を40冊にするという目標に早くも暗雲が。
初回棚卸し
10/07 総数1264 未読124
前回
10/14 総数1282(+18) 未読142(+18)
現在
11/16 総数1356(+74) 未読132(-10)
1ヶ月間に読んだ冊数
38冊
1ヶ月間で読んだ本
(既読になった38冊。クリックすると拡大)
総数が46冊ほど計算が合わないのは、登録を忘れていた本があって追加登録したため。
読んでいくそばから1日1冊ペースで増えてるから全然減らない。こうしている間にもAmazon.co.jpのショッピングカートには10冊ほどが登録されてゆく。

未読リスト

備忘もかねてリストしておく。MediaMarkerで過去との差分が視覚化できたらいいんだけどなあ。
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[書評]ニッポンの評判

2008年11月16日

ニッポンという国、あるいはニッポン文化が世界中でどのように評価されているのかを各国に暮らす人々の視点で寄せ集めた本。
登場するのは、オーストラリア、ロサンゼルス(US)、イタリア×2、ブラジル、マレーシア、トルコ、トンガ、オランダ、ドバイ(UAE)、ニュージーランド、フィンランド、イラン、ドイツ、ウィーン(オーストリア)、イギリス、フランス。全17章。

日本に対する評判は各国さまざまで、それぞれの地域のそれぞれの事情によって評価されている。全体を通して「だから日本は優れた国だ」とか「だから日本は特異な存在だ」とか「だから日本は世界の嫌われ者だ」とかいう統一感は一切無い。どの国の事情を見ても、2つとして日本へのイメージが同じな国はない。
たとえばブラジル。ブラジルは日本が大量に移民した国と言うことで、日本文化が国の中に溶け込んでいる。移民100周年がサンバカーニバルのテーマになるほどだ。
続いてオーストラリア。第二次世界大戦では唯一侵攻を受けた国として、また、白豪主義の風潮の流れで黄色人種の一つとして評価は低かったが、移民として流れ込んだ日本人の評判が良かったことで評価されるようになった。また、観光、貿易ともにお互いに存在感が大きい。
そしてトルコ。ヨーロッパに入ろうとして入りきれない国の事情に、欧米に続き先進国の仲間入りを果たした日本という存在は憧れの存在で見られる。また、明治時代に起きた「エルトゥールル号遭難事件」の美談のイメージが強く、「スシ、ゲイシャ」程度のイメージしかないながらも日本に対して世界でもっとも好意的な国でもある。
特異なのはロサンゼルス。アメリカの一部ながらもっとも日本に近い地域で、数多くの日本企業が進出している。ここでは日本は「国家」としてとらえられていない。日本の平凡なローカルニュースが話題になるほどで、「近所の一地方」あるいは「隣の文化都市」くらいのイメージだ。日本文化を日本文化としてくくらず、それぞれの要素をそれぞれにとらえている。
日本という存在の特異さはそのポジションにある。序盤から引用する。

 先進国の西洋人は、対等な友人として日本人を見ている。経済的に遅れている国から来る西洋人は、先進国の西洋人との微妙な距離感が似ていると思うのか、話しやすい存在だと見る人が少なくない。そして非西洋人は、出身国と日本の経済力のあいだにどんなに大きな差があろうとも、自分たちと同じ非西洋人の仲間だと思っている――。

日本という存在は、世界ではおおむね良いイメージを持たれている。それが多少のお世辞だったとしても喜ぶべきことで、誇るべきことだろう。しかし、その内容をよく見れば日本には弱みがあることに気がつく。経済と文化ばかりで、政治的な存在感がまるでない。これは現実として受け入れないといけない。
各国の事情に合わせた日本評価をみていると、日本という国家と、日本という文化と、日本という経済が綺麗に分けて考えられているのが分かる。フィンランドでは第二次世界大戦中にナチスと同盟した国として現在でも靖国問題、歴史教科書問題は少なからず関心が向けられるが、それが文化的経済的な評価につながることがない。オランダでも旧植民地に侵攻した国として憎悪する人々も存在するが、本国自体が旧植民地に対して不当な扱いをしていたという考え方もされており、ドライに扱われている。ロサンゼルスでは情報過多のために日本全体に対する固定イメージがないし、ドイツで熱狂的に村上春樹やマンガ文化を支持する人たちは実はそれらが日本から来たものだということを知らなかったりする。
だから日本の政治的立ち位置や、経済大国であることや、エキゾチックな文化大国であることのみを挙げて「これだから日本は」と論じることは無意味だ。それぞれの国で日本のイメージを左右するのは二国間の外交で、二国間の経済交流で、二国間の文化交流でしかない。そして、国の境界が曖昧になってきた現在では、それさえも「話のネタ」ぐらいにしかならなくなってくる。ODAをすれば「病院を作った国」、王族の居る国では「TENNOの国」、文化感度の高い国では「MANGAの国」。そんな一つの要素だけで構成されるイメージはこれからどんどん薄れていくだろう。
とは言え、いま「弱み」である国家外交の中でも、ODAと皇室外交には大きな意味があることがよく分かった。納税者として、日本人が海外で旅をするとき、あるいは仕事をするときの「安心料」として投資をしておくのは悪くないと思う。

考える道具

2008年11月11日

Notebook, pen, and EM-ONE
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最近の相棒。考えるための必需品。
SHARP EM・ONE (S01SH)
出先でコーヒー飲みながら長文を書くときに重宝。最近Touch Diamondを買ったので用済みになるかと思いきや、文章書きと動画再生専用マシンとして延命中。外で文章を書きたいが為に一時は格安ノートPC(ネットブック)の購入まで考えたが、結局割り切った。とは言えタッチタイピングができないのは結構大きいので、折りたたみ式Bluetoothキーボードを買おうかと画策している。
コクヨ キャンパスノート Slim B5
縦はB5サイズだが、横はA5サイズ程度のスリムなノート。グラフや絵を描いたり、長文ではないメモを書く場合に使用。この大きさが開きやすくてちょうどいい。コクヨの中の人に座布団1枚をあげたい。
Slim B5|文具紹介|コクヨS&T
ぺんてる トラディオ・プラマン (青)
先月に銀座の伊東屋に行って一目惚れしたのがこれ。本当は安い万年筆を買いに行ったのだが、試し書きしてみるとガリガリ引っ掛かるペン先(普段ボールペンに慣れてるからね)と、角度と方向に気をつけないと書けないことに気がついて買うのをやめた。その点こちらは万年筆のように筆圧によって線の表情をつけることができて、しかもボールペンのように(いや、それ以上に)ペン先がするするとすべる。書いていて非常に楽しい。長い付き合いになりそうだ。
惜しむらくは文字が太くなってしまうことと、品質の悪い紙だとインクが裏側に透けてしまうこと。もう慣れたけれど。
ぺんてるライブラリー プラスチック万年筆?「トラディオ・プラマン」
ちなみに仕事では実用性重視ということで会社支給のアスクルノートとアスクル3色ペンを使用。とことん使いやすいけれど書いていておもしろみも何ともないので、プライベートくらいは使っていて楽しいものを選びたいと思う。

考える道具じゃないけどついでに。
Notebook, pen, and EM-ONE
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CARL ブックスタンダー
情報考学の橋本大也さんとこで「書評を書くときに引用箇所をタイプするには書見台使うと効率いいよー」とか書いていたので購入。しかし思わぬ成果が。キーボードスタンドとしてジャストフィット!
Notebook, pen, and EM-ONE
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最近になって部屋にマンボウソファを導入したのだが、楽なのでソファに背中を預けながらパソコンに向かうことが多くなり、必然的にキーボードをひざの上に置いてタイプするスタイルになってしまった。ソファから立ち上がる際はまずキーボードを横にどけるということをしないといけないのだが、地べたに置くと取り上げるときに持ち上げにくいし、机に置くと手を伸ばして無理な姿勢になるため取りづらい。こうしてスタンドに縦に置くと取り出しやすいし無理な姿勢にもならない。思わぬ効果発見。
…Happy Hacking Keyboard 限定だけど。
CARL ブックスタンダー【ホワイト/ブラック】

[書評]怖い絵

2008年11月3日

書評はじめました。
書評リレーに誰も続く人がいないので一人でやることにする。

ゴヤ、ムンク、ルーベンス、ピカソなどの名画を「怖い」という視点で集めた本。
その怖さといっても様々なものがある。
・スプラッタ的な怖さ
・心霊写真的な怖さ
・気持ち悪さ
・絵画を取り巻く経緯による怖さ
・絵画の中に籠められた隠れた意味による怖さ

ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」


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目を見開き狂気に満ちた表情をこちらに向けるサトゥルヌス。手に持った我が子はすでに頭部がなく、左手が今まさに食いちぎられそうになっている。見た者のだれもが戦慄する名画だ。
この絵はローマ神話の伝承が元になっている。

 サトゥルヌス(別名クロノス)とは、ギリシャ・ローマ神話における農耕神であり、また「時」をつかさどる神である。絵画では、大鎌を持つ老人の姿で描かれることが多い。その鋭い鎌で、草ばかりでなく、人間の大切な時間をも無慈悲に刈り取ってゆく、置いた巨人だ。
 そんな「時の翁」が、なぜ我が子を喰らうことになったかといえば――。
 世界の始まりのとき、大地の女神ガイアは息子の天空神ウラノスと交わって、巨神サトゥルヌスを産んだ。サトゥルヌスは長じて父を大鎌で去勢したあげく殺し、神々の上に君臨する。しかし父ウラノスの最期の言葉に――「おまえもまた自分の子供に殺されるだろう」――ずっと怯え続け、その予言から逃れるため、妹であり妻であるレアとの間にできた子どもたち五人を、次々自分の腹の中へおさめざるをえなかった(まさに全てを呑みこむ「時」のしわざそのもの)。

この絵は見た目の怖さだけにはとどまらない。ゴヤという芸術家の体験した地獄がこの絵と同時期に描かれた一連の作品に現れている。スペインの寒村に生まれたゴヤは18歳で首都マドリッドへ出た後にスターへの道をのし上がっていく。明るい風俗画で人気を博し、34歳でアカデミー会員、40歳で王付き画家になった。しかし46歳の時、原因不明の高熱で聴覚を失ってしまう。これに引き続き悲劇が始まる。隣国フランスで革命が起こり、ナポレオン軍の侵攻を受けたスペインは長い間混乱に陥ることになった。戦争ばかりではなく異端審問が復活し、弾圧の時代が幕を開けた。拷問や処刑などが当たり前のように繰り広げられ、ゴヤはそれらをじっと見つめ続けて作品にしていった。72歳のとき、ゴヤはマドリッド郊外の別荘「聾者の家」へ閉じこもる。4年後に彼がここから旅立っていった後には14点の絵が残された。キャンバスにではない。漆喰の壁に直接描かれていた。今では「黒い絵」と呼ばれる一連の作品はいずれも陰惨な題材が使われていた。
この後、82歳で死ぬまでの間に描いた絵はいずれも穏やかなものだった。彼自身が体験した地獄からのリハビリのためにこの絵は描かれたのかもしれないが、真相は分かっていない。

カレーニョ・デ・ミランダ「カルロス二世」


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絵の中にはとりたてて怖いところはない。しかし、奇妙な違和感がある。カルロス二世があまりにも不健康に見えるのだ。事実、カルロス二世は病気だった。「呪いを掛けられている」と言われるほどに。
スペイン・ハプスブルク家に待望の跡継ぎとして生まれたこの子どもは成長が異常なまでに遅かった。3つになってもまだ乳を飲み、立つことすらできず、知能も低く、見た目もひどかったという。父であるフェリペ4世はこの息子を人前に出すことを嫌がり、どうしても人前に出さなくてはならない時は穴の開いた布をすっぽりと顔に被せていたらしい。まるでスケキヨだ。そして呪いを解くために周囲には乳母のほかに大勢の医者、占星術師、祈祷師がいた。やがて彼は父の死に伴い、4歳でカルロス二世として即位した。摂政となった母親は政治に無関心で、実際には大臣たちが国の舵取りをすることとなった。
ここに描かれた姿は多少の美化がなされているとは言え、お世辞にも美しいとは言い難い。

 宮廷肖像画の宿命として、二、三割アップは目をつぶる範囲であろうが、どうやらこの絵はそれをはるかに超えたものだったらしい。
 とはいえ、少年王がハプスブルク家代々の特徴を受け継いでいることは、控えめながらも表現されている。父も祖父も曽祖父も高祖父も持っていた、突き出た下顎と分厚い下唇(マリー・アントワネットの受け口にも微かに継承されている)がそれだ。その上カルロス二世は細い弓なりの顔、長く垂れた鼻、全く噛み合わない歯(終始、よだれを流していたという)、ほとんど太陽光を浴びなかったせいで病的に青白い肌――たとえ唇に紅をさしても、幽鬼の如く暗がりにぼうっと白く浮かび上がるその姿に、言いしれぬ戦慄を覚えない者はいないだろう。髪だけが若々しい美しさに波打っている。

この「呪われた子ども」が生まれたのには理由がある。スペイン・ハプスブルク家は異常なほどに近親婚を重ねていたのだ。カルロス一世の退位後、息子のフェリペ二世(いとこ婚による)が跡を継いだ。フェリペ二世の跡継ぎ(フェリペ三世)は実妹の娘である姪との間にできた子供。しかもこの姪自体、いとこ婚によってできた娘だという。フェリペ三世はいとこの娘と結婚し、その息子フェリペ四世には世継ぎができなかった。焦ったフェリペ四世は実妹の娘と結婚し、生まれたのがこの絵に描かれたカルロス二世だ。

 初代カルロス一世+いとこ→二代目フェリペ二世+姪(いとこ婚した実妹の娘)→三代目フェリペ三世+いとこの娘→四代目フェリペ四世+姪(実妹の娘)と、今に生きる我々におぞけをふるわせる四連続である。五代目がどうなるかといえば、ふつうなら七代さかのぼると百三十人近くいるはずの先祖の数が、わずか三十二人。母の母、つまり祖母に当たる女性は、祖母であると同時に叔母でもあるという、きつい血縁のもつれに首を巻かれるはめになる。

 カレーニョ・デ・ミランダの隠蔽工作は、成功したとは言い難い。カルロス二世像は、血族結婚くり返しの果ての悲劇を自ずから語っている。王権神授説を無条件に信じる王族たちは、自分たちを神に選ばれた特別な人間とみなし、下々の者の血で穢されてはならないと、身内の狭いサークルだけで婚姻をくり返して、ついには自らの汚物の堆積で流れを止めたドブ川のように行き詰まってしまった。そのなれの果てがこれなのだ。

この後、スペイン・ハプスブルク家は彼の死をもって断絶する。その後、フランスのブルボン王家からフェリペ五世が呼び寄せられ、スペイン・ブルボン家が始まることとなった。この絵が描かれてから約25年後のことだ。

他にも夢に出てきそうなものがいくつも出てくる。
ルドン「キュクロプス」

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ベーコン「ベラスケスによる<教皇インノケンティウス十世像>習作」

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この本は企画の勝利だ。私は名画の楽しみ方について何も知らないが、こうして一つの切り口で集められると面白さが分かる。とっかかりの解説本としては気軽に楽しめて良いのではないだろうか。

「そのまま2列前の席にお座りになって下さい」

会社でときどき研修というものを受けることがある。スキルアップにつながるような研修なら良いが、なかにはセキュリティ教育とかコンプライアンス研修とか名前を聞いただけであくびが出てきそうなものがある。先週それに出席したときちょっとした驚きがあったのでメモしておく。
やる気がないのは私だけでなく他の出席者も同じのようで、会場の席は後ろから埋まっていく。研修がスタートする頃には最前列と2列目が綺麗に空いたような形になっていた。そして研修の司会者は簡単に挨拶をした後「少しウォーミングアップをしましょう」と言った。
研修の際にウォーミングアップを設ける人はそれほど珍しいものではない。こういった研修の中で唯一意味があった(と私が感じる)メンタルヘルスケアの研修の際、担当した精神科医は「そろそろ眠くなってきたでしょう」と体を動かす時間を設けていた。そして最後に「こうして体を動かして気分転換することで気持ちが楽になります。予防の手段としてとても重要です」と解説していた。
今回の研修ではウォーミングアップと言いつつ30秒間設けて周りの人と挨拶をさせ、「いまの30秒で5人以上と挨拶した人はいますか?」などと手を挙げさせ、ひととおりすんだところで、一言。
「前の席が若干空いております。皆さんせっかく立って頂いておりますので、そのまま2列前の席にお座りになって下さい」
こうして席は前から順に綺麗に埋まることになった。見事な誘導に感心した。

話は変わる。
自分が過去に講演とか発表とかやった時、たいてい誰か一人の出席者に目線を合わせながら話すことが多かった。それは座席の前の方か中央あたりにいる人で、私の話にうんうんと頷いてくれる人だったりする。こうした「代表的聴者」を設定すると安心して話に集中することができる。
ただ、たまにその人が、気がゆるんだとかで間抜けな顔をしたりすると大変。こみ上げる笑いをこらえながら話を続けなければいけなくなる。咳払いなんかをしてごまかしながら、ツボが通り過ぎるのを待つしかない。これは辛い。
しかしこれは逆手に取れる。
出席者の立場になったとき、変な顔をして発表者の笑いを誘うといういたずらができる。学生の時、親しい友人が発表者だったときに一度試したことがあった。彼は私がやったのと同じように咳払いを何度もしながらゆるんだ顔を必死に押さえていた。ただ、このいたずらは迷惑度が高い上、変な顔をしている自分が良識を疑われるという諸刃の剣なので素人にはおすすめできない。せいぜい洒落の通じる知り合いが発表者で、しかも発表がどうしようもなくつまらなくて暇つぶしするしかない時にやるのが良い。そんな場面はほとんど無いと思うが。
この手のいたずらは他の場面にも応用できる。
電車の中など公共の場所で友人と笑い話をしていると、ごくたまに全然関係ない人が笑いをこらえているのを発見することがある。そんな際にはたたみかけるように笑い話を繰り出す。声のトーンも少し上げる。そして、じわじわ盛り上げて最後に簡潔なオチで落っことすタイプの話をするのが良い。クライマックスの瞬間、ターゲットはこらえきれず激しく咳き込む。なんとなく勝った気がする(何に!?)。
ぜひお試しあれ。