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近所のファミレスを勝手にホットスポット化計画

2007年4月16日

FONルータが安かったので購入してみました。

FONについて簡単に解説すると、無線LANのアクセスポイントを互いに使えるようにしようぜというコミュニティ。コンセプトはいいんだけど実用にはほど遠いカバーエリアと、管理は個々人に任せるという頼りない運用実態のため、設置に自己満足するマニアと新しもの好きの変態(私含む)にしか導入が進んでいない。でもいま一番ノリに乗ってるコミュニティの一つ。
さて、こんな田舎で導入しても実用的に届く範囲にはアパート2棟ぐらいしかない。せっかくなのでもう少し有効な使い方を考えてみました。70mほど離れたところにあるファミレスを勝手にホットスポット化してしまえ計画
調べたところ電波到達距離は実用50m、限界100mというところらしい。ただし見通しの良いところ限定での数字なので実際はちょっと厳しめかも。

測定結果

まずは論より証拠。まずは以下の3地点を計測してみました。
(アンテナマークが発信地点。Xマークが計測ポイント。ピンクの範囲が指向性イメージ。赤い範囲がファミレスのホールエリア)

<母艦(FTTH直結)>
3.2Mbps
<部屋の中>
2.3Mbps。アンテナ4本(最大)。もちろんバリバリに使える。
<アパートの駐車場(上から1番目のX点)>
100k~1.6Mbps。約27m。FONルータをほぼ目視可能。
<ファミレスの駐車場(上から2番目のX点)>
70k~250kbps。約65m。アンテナは2本。ぎりぎり目視不可。
<ファミレスの駐車場の端(一番下のX点)>
10~70kbps。約70m。アンテナは1本。まったく目視不可。
さらに遠くだと切れてしまったりして測定できるレベルではなし。
元回線はFTTH、実験時は帯域制限なし。測定にはS01SHを使用したため処理速度がネックの可能性アリ。あくまで相対比較として見た方がよいかと。測定サイトはスピードテスト。3回以上の測定をもとに算定。
うーん、このぶんだとファミレスの屋内まで届くのは厳しそうだなあ。
ちなみに指向性を持たせた上での数値です。型紙とハサミとアルミホイルですぐできるお手製反射板。取り付けるとこんな感じ。

せいいっぱい飛ばしてもこの結果。やはり無線LANは無線LANとして部屋の中だけで使うためのものなんですね。これがPHSのマイクロセルだったら実用レベルでカバーできそうなんですけど。
やはりFONは格安のルータをいじり倒す方が面白そうだ。

今日も今日とてドクターペッパー

2007年4月10日

Dr. Papper
最近のお供はペッパー先生。
こないだ会社の自販機で見つけてからは毎日飲んでる。特にストレス負荷が高まると手が伸びる。一日一本、三日で三本、週末働きゃもっと増える。
せっかくモバイルでブログ更新できる環境が整ったというのに、家にほとんど帰ってないから会社の話題しか思いつかないのは寂しいことだね。先週は本部長と共謀して自社のコールセンターにイタ電して遊んだ、とか、課長に捕まってコロッケに対しての殺意をとうとうと聞かされた、とか、この間のホワイトデーに「娘とかみさんに何をお返ししたらいいか」という議論だけで丸ごと30分の会議が終わりかけた、とかそんな話しか思いつかない。
仕事しろ。

終電のつくばエクスプレスから

2007年4月5日

高速移動中の電車からブロードバンド接続テスト。
環境など。
端末:SHARP製 S01SH(B)
回線:NTTドコモ 無線LANサービス Mzone
現在位置:北千住付近
実効速度:230Kbps(秋葉原駅ホーム端つくば側)
Skype、MSN IM、IRCクライアントは問題なく動作。
IMとIRCは無線LAN環境・HSDPA環境ともに正常通信を確認。
SkypeはHSDPA環境(500Kbps)にて正常通信を確認。
(ドコモ携帯、au携帯にSkypeOut。多少の遅延あり)
現状の不満点:
Windows Mobileの接続設定が難解
無線LANが不安定(ブチブチ切れる、電波捕捉の成功率が低い)
処理速度がボトルネックなので全然ブロードバンドじゃない
(ノートパソコンに差したデータカードでHSDPA接続2.9Mbps出てるのに、同じ場所で500Kbpsしか出ない)
妥協が必要な点:
HSDPA通信エリアが狭い
ワンセグ視聴可能エリアが狭い
電池の持ちが悪い
雑感。
通勤電車の中でずっと使えるのはかなり有り難いですね。音楽を聴きながらオンラインでニュースが見られるし。まあ携帯でもできるんですが、PCと同じ感覚でPCと同じページが見られてPCのように文章が打てるのが良いです。Google Maps+タッチスクリーンでカーナビもどきに使えたり、PDA型の通信端末は自由度が高いのが魅力ですね。まあ通信エリア内にいないと意味がないですけど。
あとは、壊れやすいと評判のSHARP製端末+奇妙なギミックのコンボが破壊神さえ呼ばなければ最高ですね。

社会人2年目に突入

2007年4月4日

業界の常識を覆すとか言うのは簡単ですけど、いざやってしまった後で実はそれがパンドラの箱だったことに気がついたりするのです。そんなこんなで今日もオフィスは大運動会です。
最近自分が大きな渦の中心近くで踊っているような気がしてならない(´・ω・`)

考えるな、感じるんだ――論理的思考を減らそう

2007年3月26日

論理的思考の放棄 (登 大遊@筑波大学情報学類の SoftEther VPN 日記)
http://d.hatena.ne.jp/softether/20070324#p1
登大遊氏が面白いことを書いてます。彼は一日最低3000行、最高でも1万行という凄まじいペースでプログラミングをします。そのプログラミングのステップを分解すると作業の大部分は論理的思考の入らない感覚的作業でした。だからプログラミングをするのは論理的な作業とは言えないですよ。てな話。
天才が語る「論理的思考」は凡人の考えるそれとは違うのだな、というのがよく分かりました。
彼にとってはおそらくプログラミングに必要な「論理的思考」はただのルーチンワークなのでしょう。自転車の乗り方をいちど覚えてしまえば次からは考えなくても乗れるように、彼にとってはロジックを組み立てることが手足の感覚のように当たり前の存在になっていて、労力も時間もさほど必要としないレベルにまで自動化されている。だから構想や設計といった感覚的なものしか彼の意識上にはなくてこのような極論になったのではないかと推測します。いいですね。無駄なこと一切を無意識が勝手に処理してくれて特に考える必要がないっていうのは。
だから天才の言うことは私たちとは一切関係ないんだよ、という話をする気はありません。無意識の効率的な使い方は天才に学ぶべきと言いたいのです。自転車の乗り方を覚えたとき、それは身体が覚えたのではなく「必要な一連の動作を無意識化で処理できるようになった」だけに過ぎないのです。登氏がプログラムを書くのはおそらく自転車に乗るのと変わらないのでしょう。つまり、考えなくてもペダルはどんどんこげるので、あとはハンドルを右に曲げるか左に曲げるかだけしか考えなくて良い。それは簡単に言えば「慣れ」です。
毎日自動車に乗っていれば、考えなくても運転動作が出来るでしょう。毎日学校に行っていれば、考えなくても目的地に着けるでしょう。毎日マクドナルドで働いていれば、考えなくてもマニュアル文章が口から出てくるでしょう。すべては慣れです。必要動作をことごとく無意識に任せてしまうのが「慣れる」ということです。
ということは、作業に占める「慣れ」の比率を極限まで高めれば登氏のような異常なペースも不可能ではないのですね。まあ言うのは簡単ですけど、退屈な作業があったらそれを退屈なままで終わらせずにさっさとオートメーション化して次へ行け、いつまでも低いレベルの思考をするな、ということです。それを彼は「努力しない」「頭を使わない」という言葉で表現しています。これはよく言われる「優秀なプログラマは面倒くさがり」ということを支持していますね。
さて、私の場合ですが残念ながらプログラミングが得意ではないことに最近気がつきました(作業自体はかなり楽しいんですが生産性が低すぎる)。その一方で文章を書くのはわりとすらすらいけます。5年以上書いているので無意識で片付けられる部分が増えてきたのですね。では文章を書くことにおいてこれ以上無意識に任せられる部分はあるのでしょうかね。テーマと構成だけを決めればあとは考えずにキーボードを叩くだけ、とかそういうレベルになればいいですね。
さて、あなたの目の前にある作業で次に自動化できるところはどこでしょうか。(啓蒙書風に終えてみる)

参考

論理的思考の放棄 – 登大遊のSoftEther VPN日記
論理的思考の放棄2 – 前エントリの追記
 ・登氏のコメント欄にしては珍しく質が高い
論理的でも非論理的でも良い
直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。

She came from apple-shaped planet Korin.

2007年3月22日


「読み逃げ」はダメ? – Slashdot Japan
モヒカン族問題とか、はてな村住人との軋轢とか、「読み逃げ禁止」等のmixi独自ルールの軋轢とか、無断リンク禁止の賛否とか、キリ番踏み逃げ禁止の賛否とか、そういったローカルな対立は「住んでる星が違う」の一言で片付けてしまえばいいと思いますね。
Continue reading She came from apple-shaped planet Korin.

PASMO定期券にしました

2007年3月19日

今日からPASMOが使えるというので定期券をPASMO対応にしてきました。

夕方頃にいつも定期券更新やってる自動券売機まで行き、従来の時期定期券を突っ込み氏名と生年月日と電話番号を入力してデポジット500円を支払うとPASMOカードが出てきました。PASMO定期券は記名式なので個人情報を登録しないといけないのは知っていたんですが、定期券が持ってる情報とは別に入力させられるんですね。よく分からない。
さあこれで定期券を落としても大丈夫。安心して6ヶ月定期券を買えます。月収を軽く超えるので落としたらシャレになりません。
とはいえ、手元にはまだ使い切ってないパスネットが1枚。約3000円分。Suicaが2枚。同じく約3000円分。この大量の残額がある限りは「一枚でOK」とはいきません。残額の移し替えができればいいのだけどね。PASMO導入で私の通勤パターン(つくば⇔秋葉原間は定期を使い、秋葉原⇔会社間は気分に応じてJR or 地下鉄でルートを変える)の最大の問題点「カードを3枚持たないといけない」が解消される(※)予定ですが、残額を使い切るまではしばらく3枚持ったままになりそうです。
さて今回PASMO開始と同じタイミングでSuicaが子供用に対応。都バスの乗り継ぎ割引にも対応しました。JR東日本がようやくことでんに追いつきましたね。あとは身障者用カードと回数割引があればことでんに勝てますね。(w

関連

PASMO – 公式サイト
Suica と Pasmo と。あと、い~カードも。 – detourist

※解説

<Before>
・つくば⇔秋葉原の定期(磁気)
・秋葉原⇔会社最寄り駅のパスネット
・秋葉原⇔会社最寄り駅のSuica
<After>
・つくば⇔秋葉原の定期(PASMO)

携帯電話、モノとして見るか? サービスとして見るか?

2007年3月6日

いまから40年以上前、梅棹忠夫という人が「モノの価値はモノが持っているのではなく、モノの中にある情報が持っている」ということを発見して情報化社会を予想しました。商品の価値がハードウェアとしての価値とソフトウェアの価値に分かれるという、今となっては当たり前のような話です。でも、こうしてハードとソフトという概念、モノとサービスという概念が一般的なものになっても、やっぱり直感的には理解できなかったりすることが多いのです。
今日は休日だったので買い物に出かけました。いま使っている携帯電話は3年近く使い続けている端末(premini)で、最近になってFOMAで魅力的な端末が出たのでFOMAに変えてもいいかなと考えていました。ドコモショップに行ってお目当てのFOMA端末(D703i)の値段を見て、安かったので変えようかどうしようかと逡巡しつつ端末を触ること10分ほど。
↓その時の思考はこんな感じです。

FOMAにすると電波が入らないかもしれない。でも見やすい大画面でiモードができる。preminiよりちょっと重くなるけど、それでも携帯電話にしては軽い。デザインも最高だし、2chスレでも神認定一歩手前といったところ。電波が入らない問題はデュアルサービスでmovaを併用すればいいかも。そもそもセキュアじゃない2Gを使い続けるのはどうなのか。いやしかし長年親しんだこの端末から乗り換えるのは惜しい。3年かかってようやくpremini使っている仲間を発見した。職場でも大半がFOMAで話のネタにもなる。もう少し待てば社費で3Gが使えるかもしれないし、せっかく安いままの旧料金プランを手放してしまうのもどうなのか。。。。。。

最終的な決断は「機種変更しない」になったのですが、その決め手となったのが「D703iは最薄最軽量でもシルエットがpreminiに比べて大きすぎる →だからpreminiのようなインパクトがない →所有欲が沸かない」ということでした。まあ、これ自体は本当にどうでもいい話なんですが、ここで取り上げたいのはFOMAという「サービス」の選択に端末という「モノ」が大きな影響を与えたということです。
ご存じ携帯電話というものは通話とか通信のサービスを提供するものなんですけど、けっこう端末の魅力も重視されるんですね。用が足りること(サービス)を重視する人と、所有欲やステータスシンボルを重視する人がいる。デジカメもノートパソコンもHDDレコーダーも液晶テレビもそうです。デジタルグッズ全般はそうです。
つまり、所有欲を重視する購買層にとって、デジタルグッズはハードの価値がソフトを含めたモノの購買決定に影響を与えるのです。ワンセグ見ないしワンセグ視聴地域にいなくても、ワンセグ携帯がやたら売れるのと同じです。ワンセグ(≒大画面液晶)というプレミアムを持ちたい人が所有欲を満たすために買うのです。
私の場合、FOMAは通信速度が速いとかパケット料金が安くなるとか音質がいいとか高機能だとか大画面だとか、そういったメリットを「持った感じデカいね」が一蹴したのです。携帯をサービスとして見ている人はどんどんFOMAにするし、モノとして見ている人はどこまでも端末しか見ないのです。
言いたいのは、モノの魅力とサービスの魅力、両方が問われるような商品はモノ重視派とサービス重視派で見方がまったく異なるということです。携帯電話は本来「つながる」サービス提供端末なのでサービス重視派がいるし、アクセサリー代わりに持っていることの価値を重視するモノ重視派もいる。パソコンも同じように二つに分けられますね。役に立つからとパソコンを買ってあれこれ始めるのはサービス派。まずパソコンを買って、それから使い道を考えるのがモノ派。音楽を聴きたいからiPodを買うのがサービス派。iPodを買ってから音楽を聴き始めるのがモノ派。
となると、日本の製造業的な考え方である「良質なものを作れば売れる」という考え方は古くなっているのかもしれませんね。みんなが良質なものを作っているからそれだけでは売れない。ポータブル音楽プレーヤーひとつとっても、音楽を聴きたい人に機能(つまりソフト的な価値)を提供することにかけては各電機メーカーはうまかった。でも、所有欲に訴えかけるような方法(デザインやUIやプロモーション)で「別に音楽を聴きたいわけじゃないけど」な人も開拓したAppleの方が一枚上手でした。やはり所有欲は無視できないものになっているのです。
はてさて、
元の話に戻りますが、携帯電話をモノとして見ている私はおそらく次にあっと言わせるような端末が出てくるまでpreminiを使い続けるのでしょうね。よほどのことがない限り、ずっと私は携帯電話をアクセサリーの一つとしてしか見られない気がします。

iPodのようにみんなが所有欲をかき立てられるような端末って何でしょうね。少なくともiPhoneではないと思いますが。

参考

梅棹忠夫 – Wikipedia
梅棹忠夫 「情報の文明学」 中公文庫 – 論文「情報産業論」収録
FOMA D703i
Apple – iPhone

小豆島で「ダッシュ村」映画を撮影中

2007年3月5日

WEBテンツク
http://www.tentsuku.com/
てんつくマンが小豆島を舞台に映画撮影をしているらしいです。インタビューマンガ「絶望に効くクスリ」(第55夜、第6巻収録)で知りました。
ダッシュ村のように自給自足で生活し、その様子をフィルムにするのだとか。参加者も募集中らしい。
いいですね。自給自足生活をしたり映画撮影に映える環境があったりするのは別に小豆島に限った話じゃないですけど、ナチュラルに生活するにはかなり条件の整った場所だと思いますよ。人口3万人以上とはいえ、都市化されている場所があまりないですから。ただ、廃墟のようにたたずむリゾートの夢の跡がちらほらあるのが見苦しいだけで。
たとえば陸続きだと太い国道が走ったり工業地域ができたりベッドタウン化して集合住宅が建ったりしていかにも日本的な半端都市になるんですが、島はどうしようもない隔離地域なので都市化されにくいというのがありますね。道路も農地も商店もその地域だけで完結するようにできている。
だからどうなるかというと、まず一つめは田舎の風景がわりと温存されやすい。田んぼの真ん中にいきなりラブホテルが建ったり、太い道路沿いの農地にカラフルな看板がひしめき合ったりしません。のどかなもんです。二つめは生活基盤が自給自足(地産地消と言った方が近いかも)に近い。隔離地域で働き口がないからホワイトカラーが少なく、個人事業や農家や漁師が多い(観光業と土建業もやたら多いけど)。これは別に農業や漁業で生計を立ててる人が多いだけの話じゃなくて、飲み屋のおっちゃんから歯医者のセンセイに至るまで片手間で畑仕事やら何やらをしている率も高い。毎日のように釣れた魚や野菜をあげたりもらったりして、お金を使わない経済がわりと成り立ってたりとか。
そんなわけで「いかにもな田舎」像を求めるなら小豆島は適地でしょう
ただ、そうやって映画になったり注目されたりするのがいいことなのか悪いことなのかは何とも言えません。例えばダッシュ村で町おこしだとか、古き良き風景を残して観光地化、だとかを安易に言い出すことが限りなくお寒いことは、一度観光で失敗した島の地元民としては痛いほど分かっています。ではどうすればいいんでしょう。風光明媚な資源を有名にして消費財にするか、うちわだけで持続可能な生活基盤としてひっそりと維持するか。別にどちらかでないといけない話でもないんですが。
ヨーロッパなんかだと両方のいいところを取ってリッチ層向けのリゾートにして大成功している例もありますね。そうすれば人が押し寄せて生活基盤を失ったりすることもなく、一方で観光業はしっかりと儲けて経済が潤うという仕組み。もっとも、こんな小島を世界中のリッチ層から選ばれる存在にするためには、おそらくものすごいリカバリが必要となるでしょうけど。
まあ、とりあえずゆっくりとした時間を過ごしたいという方は私に一声かけてください。お盆の休暇の時にでも島内を案内いたします。数時間で回れるようないかにもな観光地は勧めません。日がな一日好きなように泳げるプライベートビーチや、のんびり考え事ができる静かな釣りポイント、ネコ集団と銭湯が素敵な路地裏などに案内いたします。今ならうちの畑でとれたトマトとキュウリも付いてきます。
詳細は、大学卒業以来ずっとUターンを画策中のYAGITCHEまでお気軽にどうぞ。

関連

WEBテンツク
小豆島ウェブマガジン
小豆島ドットコム

大酒飲みとの晩餐

2007年1月21日

切込隊長BLOG屈指の名エントリ、アメリカンデブとの晩餐をテンプレ化してみた。事実でない部分が多数含まれているが気にしない。

大酒飲みとの晩餐

 先日、某所から大酒飲みが来たので晩飯を一緒に喰った。
 前に、私は彼の飲みの予定をドタキャンして激怒させたことがある(照)。
 なもんで、東京の某ホテルに泊まっているから飯を喰おう、と誘われたら地元でもある私が飯代を出すのは仕方のないことだと思っていた。どうせダイニングといってもせいぜい1万かそこらであろう、こういうときぐらい仁義として払ってやってもいいだろう、いいに違いない、と自分で自分を説得しながら、待ち合わせ場所である新橋駅に向かった。
 ひとつ、私が計算違いをしていたのは、大酒飲みは一人ではなかったのである。
 私が激怒させたきよっさん(仮称)という酒飲みは、いわゆるこってり系であり、腹回りから腰にかけて分厚い脂肪が溜まっているタイプである。しかし、彼の周囲には彼と同泊しているというたかっさん(仮称)という酒飲みと、たかっさんの後輩である小松と和田(いずれも仮称)という酒飲みと四人で新橋駅前のSL広場で飲み屋街の品定めをしていた。というか全員ほろ酔いだった。
 親が酒飲みなら子供も酒飲みというのは遺伝子や食習慣で分からなくもないが、よりによってその同泊しているパートナーまで私のよく知ってる大酒飲みを選ばなくても良いのではないか。
 かくして、過去に痛い目にあった大酒飲みに会いに逝ったら、そこには4・大酒飲みズという複数形に進化していたのが非常に厄介であり、その後のお金の流出について強い懸念を抱き始めた。
 安いワインダイニングに移って奥の個室を取り全員落ち着いたとき、その懸念は恐怖に変わりつつあった。初めに出された白ワインを、注がれるや否や10秒というオーダーで飲み干しやがるのである。「白ワインってのはな、食事前の談笑を楽しむためにちっとずつ飲むものなんだよ」と抗議したが「そんなことをするのは暇な瀬戸内人ぐらいのものだ」と口々に返され、「これだから高知県人は」と大げさに言ったところ「そういうことを言うと吉野川の水を止めるぞ」と笑って言われた。まあ、同様に兵庫県人と口論になると「お前、つまらん注文つけるとヘリ出動しないぞ(※)」と言われることがあるので、香川県の立場はかなり弱いものなのかも知れない。
※ 香川県の島々で頻発する山火事には兵庫県警が消火用ヘリを出す。他にも重大事件の立件など、離島に限っては香川県警と同等の存在感がある
 口論には歴史を踏まえたお国柄というのが結構あって、岡山県人と仲良くする時は「道州制は中四国州で行こうぜ」とか「備讃瀬戸も埋め立てて陸続きにしよう」とか「四国新幹線はマリンライナーを特急にしたみたいなもんだ」とか都合の良いことを言い、岡山県人と喧嘩する時は「お前は俺のビッグブラザー(宗主国)ではない」とか「小豆島に逃げられた癖に(江戸時代まで小豆島は岡山側の領土だった)」とか都合の悪いことを言う。
 どこの文化圏の国の連中と話をする時にも、分かる範囲でその国の歴史の都合の良し悪しを利用して仲良くしようとしたり口喧嘩したりするものなのである。なお、一部には洒落が全く通用しないので工夫したほうが良い。かなり昔の話になるが、徳島県人に「徳島ラーメンは讃岐うどんブームの二番煎じ」と言ったら、殴り合いの喧嘩に発展したことがあったので注意されたい。
 そんな感じで仲良く大酒飲みズと飯を喰い終わって、流されるままに2軒目に行って終電が終わる前後になって、彼らが口々に「もう一軒」と言い出した。私は満腹だ。2軒目で5人で普通に8人前コース喰って飲んで、さらにコース外のものも頼みまくって満足しない日本人はそういない。しかし、彼らは物足りないという。酔い足りないという。ノットイナフだという。死ね。
 おまけに、1軒目でも2軒目でも赤ワインを何本も空けていた。ま、ホストである私が全部頼んでいるので(私がお金を出すのだから当然だ)、掲載されている中でももっとも安価なワインを上から順に頼んでいるだけなのだが、それでもたっぷり三万円分は飲んでいる。ふざけんなと思ったが、まあここは接待である。保険屋が取り付け騒ぎで殺到した客をさばくのにジュースをたらふく飲ませて帰すようなものだ。解約されて大損するよりは、手ごろな飲み食いをさせて腹いっぱいになれば満足するというわけだ。
 それでも彼らの飲みっぷりは常軌を逸している。何とかデザートでやり過ごそうと思ったが、彼らの知ってる人が輸入酒屋のようなエスニック居酒屋のような店を開店しているからそこへ連れて行け坊(私のこと)という。最初、何のことだか分からなかった。話をよく聞いてみると、伝統的な居酒屋でないほうの、エスニックが良いという。ことここに及んで、彼らはワイン、あるいはウィスキー、もしくは輸入ビールを飲みたいという趣旨のことだと理解した瞬間、抱いていた恐怖は諦観に変わった。まだ飲むのか。
 仕方がないので、タクシーを二台呼んでもらい、二台に分乗した。タクシーが一台なら、私が助手席に乗って普通に行き先を伝えて充分だろうが、何せ搭載する人物が人物である。ろれつの回らない口調で運転手に指示を出し、タクシーに横転でもされたら目も当てられない。引火したらしばらく燃えてそうだし。
 果たして無事に到着したが、彼らの期待していたエスニック酒場は既にラストオーダーの時刻を回っていた。そうすると、普通に居酒屋に入るしかない。幸い秋葉原・御徒町辺りは土地勘があるので手ごろな価格の居酒屋に入った。が、やっぱりというか、大酒飲みズは普通に四人卓に座って黙ってるような酔い方をしていない。仕方なく、一番奥の迷惑にならなさそうな席に誘導してもらった。この店の売りは焼酎だそうだが何か好きな焼酎はあるかと聞くと、「焼酎は好きだが、焼酎の何が好きかと聞かれると返答に困る」という返事だった。私の日本語力が足りなかったのかも知れない。通常は霧島、さつま白波、くろうま、刻の封印など様々な銘柄をピンポイントで頼むのだが、何か好きな銘柄はあるだろうか?と問い直したら、「どれも焼酎であることには変わりないだろう。だったら頼むべきものはただひとつ、焼酎だ」という。
 諦めてピュアブルーをボトルで3本ほど頼んだ。
 焼酎と私のビールが到着すると、コップが渇く暇もなく次々と飲んでいく。しかも、酒飲みズはロックを入れずにほぼストレートで飲んでゆく。しかも、注文の追加が遅いと私の分のジョッキまでバンバン飲む。次々と焼酎とビールを共に口の中に流し込んでは、まるで今夜が世界の終わりであるかのようにどんどん注文していくのである。
 ここで更なる問題が勃発する。いま飲んでいる酒を提供している居酒屋の近くには、ここにいる全員がよく知っている人が通っている大学があるのである。当然、怖れていたように「そういえば三好(仮称)の研究室はこの近くだったな。今すぐコールしろ!!」といった指令が飛ぶのである。とはいえ、もう終電時間を楽勝で回っている。もう帰宅しているに違いない、帰宅していてくれ、と思ったら普通に研究室にいた。これだから研究生は嫌いだ。何と言うか、酒飲みは仲間を呼ぶ。まるでwizardryでいえば瀕死のパーティーに遭遇したグレーターデーモンが仲間を呼ぶようなものだ。しかし、助かったのは三好は明日中にまとめるべき発表資料があるので行けないとのことだったので、酒飲み増援は避けられた。
 ちと小便で中座してしまった間に彼らは勝手に頼んだらしく、卓上にありとあらゆる銘柄のボトルが並んでいて泣きそうになった。周囲の客が分からないのをいいことに土佐鶴のCMソングとか歌っているのである。もはや品性という単語がもっとも似つかわしくない集団である。どうやら頼み方も「何か焼酎を持って来い」だったらしく、安い方から順番で登場していた。
 いきなり終了のゴングが鳴ったのは「ラストオーダーです」というおずおずとした声が、たどたどしい日本語を駆使する店員の口から発せられた時だった。正直助かったと思った。大酒飲みズは腹をパンパン叩いて「あー飲んだ飲んだ」「東京の居酒屋も少しはうまいな」としか言わない。会計をして、金額を見て顔がひきつりそうになったが、ここは堪忍である。タクシー乗り場まで送る途中、彼らはコンビニに寄り、何をするのかと思ったら、人数分のウコンの力を買った。あんだけ喰って飲んで騒いで、ウコンの力なのかよ! いまさら100mlかよ! 何時間も前から肝臓はフル回転なんだよ!
 御徒町の道の真ん中で横に並んで歩く一行の手にはウコンの力。タクシーでの別れ際に「坊。次はうち(山奥の実家)でいいもん喰わしてやるよ。最高の奴をな」と強く肩を叩かれた。いつもは長いと感じてやまなかった始発待ちが、ちょっとだけ、楽な気分になった瞬間だった。

関連

アメリカンデブとの晩餐 – 切込隊長BLOG