Twitter試用中

2007年6月11日

Twitterとやらをはじめてみた。ひらたくいうと独り言を随時公開するサービス。メッセンジャーのログイン名が四六時中更新できるのをイメージすると分かりやすいかも。
Twitter / yagitch
はたから見ると「それがどうした?」って感じだけど、始めてみるとそのユルユル感に取り憑かれる。ちょっとした合間に携帯から更新したりとか。
解説はこちら。
「今、何をしているの?」でつながる『twitter』 – 百式
このページの左のバーにも表示できるようにしてみた。周りにやってる人があまりいないんでネタ帳がわりに使ってます。一発ネタとか。

蛇足

konata
こなたアイコン (PNG形式 96×96 3.4KB)
適当なアイコン画像がなかったのでIllustrator使って自作してみた。やはりベジェ曲線は偉大だ。

DoCoMo 2.0をこき下ろしてる人は見事に釣られすぎ

2007年6月5日

「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」というフレーズで始まった今回のキャンペーン。ネット界隈を見るとあちこちで物議を醸している。
大前研一にこきおろされた 「そろそろ反撃」ドコモCM – J-CASTニュース
NTT ドコモのDoCoMo 2.0 自爆 CM「反撃してもいいですか?」の傲慢とカン違い – Heaven’s Net is Wide-meshed
これで「2.0」?Docomo2.0の謎 – Di
ドコモ2.0「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」 – イミフ
みんなドコモに釣られすぎ(´ω`)
参考:
「ドコモ2.0」ってなんだ? “独り負け”王者反撃の合言葉 – ITmedia
NTTドコモ 辻村清行氏──「ドコモ2.0」に込めた本当の意味 (1/2) – ITmedia
蛇足:
変換すると「ドコモに移転ゼロ」になる!? 謎の「DoCoMo 2.0」

「そろそろ反撃」広告の嫌悪感のポイント

この広告に嫌悪感を持った人は次の2つのどちらか、または両方に注目している。
1.今さら「○○ 2.0」かよw
2.広告がコンシューマの方に向いておらず、自己満足的
1は「Web 2.0」に始まった2.0に辟易しているようなブロガー(≒ヘビーネットユーザ層)に圧倒的に多い。2はその中にちらほら混ざっている感じだ。1の指摘については「一般には知らない人が多く、実は今まさにちょうどいい」との意味不明な返答をしているのだが、賛否はともかく話題作りの一環として考えれば2.0キーワードの有効性は消えていないと考えたのだろう。ここまで堂々と大規模なプロモーションに敢えて「2.0」を据えていることからして、ネット界隈の失笑ブーイングの嵐は織り込み済みと考えていい。要するに、釣りだ。
このキャンペーンは他社に喧嘩を吹っかけているだけでなく、ネットのヘビーユーザでデジモノ好きでブログ書いててロジャーズモデルでは「アーリーアダプター」に分類されるような人たちにも喧嘩を売っているのだ。ネット界隈でこうした人を使ってキャンペーンを「炎上」させることで、見せかけのインパクトを与えようとしているのだ。十分なリテラシを持ったコミュニティでは炎上が即、悪評価につながるわけではないことを十分に見据えた上での決断だろう。

「そろそろ反撃」広告は単なる自己満足広告ではない

はてさて、
一方の2だが、こちらはまったく指摘通りだ。さすがに何億もの大金を自己満足だけのために捨てるようなことはしないだろうが、それにしてもこの「内容のワケのわからなさ」は嫌悪感を感じてしまうほどひどい。ある程度携帯電話業界に詳しければ「ああ、MNPで散々ひとり負けとか言われてきたから反撃に出るんだな」ということが分かるが、テレビCMを見た人でそこまで一瞬で理解できる人はあまり多くないだろう。ひとり負けだとかW-CDMAとか一切理解しないで使ってる人の方が圧倒的に多くて、そうした人たちにとっては「最近auは元気いいけど、ドコモは変わらないね」ぐらいの意識かも知れない。だから、あえてテイザー広告なんて打って企業同士の合戦をプロモーションする意味はない。
じゃあこの広告は本当に自己満足なのか。
大前研一氏の言うように、この広告はたしかにコンシューマの方を向いていない。しかし、だからといってこの広告に価値がないわけではない。広告はしばしば、コンシューマの方を向かないこともある。
たとえばキリンビールが発売している「のどごし生」のCMには、通常のビール風飲料CMにありがちなゴクゴク飲むシーンがない。いや、あるにはあるのだが必ずしも前面に出していない。スーパーの酒売場で山口智充演じる販売員が大量の「のどごし生」のケースに囲まれ、声を張り上げて商品を売るだけだ。このCMはコンシューマにうまさをあまりアピールしていない。店頭での売れ行きの良さと商品名を印象づけることだけに目的を絞っている。つまり、商品の良さを伝えることだけが広告ではないのだ。
そしてこの「のどごし生」のCMにはもう一つの意味が込められている。店頭で実際に商品を売る人のモチベーションアップだ。販売員にスポットライトを当てることで、CMの活気を現実のものにしてしまう。外に対するアピールではなく、内に対する激励として広告を使っている。大手飲料会社ともなれば配送から販売まで全国何万人もの手を介すことになり、最終的に店頭でどのように売られるかによって全体の売れ行きが大きく変わる。この広告はそこに着目した見事なキャンペーンと言える。
ドコモも同じだ。全国2000店以上の代理店と、全国各地の量販店カウンターの販売員によって支えられている。今回の「DoCoMo 2.0」広告は彼らへの激励の意味が込められているのだと思う。「また新しいサービスやるから、みんなしっかり売ってくれよ」と。ドコモは今回のイメージCMのほかにもドコモショップのCMを流している。このCMの主役は店頭の販売員だ。どうやら「DoCoMo 2.0」に限らず今期のドコモは、ドコモ関係者のためにドコモ内部にスポットライトを当てようとしているらしい。
だから、別に広告がコンシューマの方を向いていないからって目くじらを立てることはない。たしかに、このままずっとコンシューマの方を向かなくなってしまうのであればそれは問題だが、今回のキャンペーンについては一時的なものとして見ておいた方が良いのかも知れない。
ただ、ここまで余計な嫌悪感を感じさせるキャッチコピー(そろそろ反撃~)にした理由はよくわからない。こればかりは誤算か、あるいはまだ明らかにされていない次の一手があるのかもしれない。

言葉のインパクトに踊らされないように

今回の「DoCoMo 2.0」の意味は「ちょっとここらで心機一転してみんなでがんばるよー」程度に見ておくのがいい。パラダイムシフトでも何でもないし、挑発こそすれ宣戦布告でもない。2.0というのだからもっと斬新なサービスが登場して然るべきだ! とかいうのも的はずれだ。Web 2.0だってものすごい衝撃が突然来たんじゃなくて、すでにあちこちに出現していた変化に後付けで名前をつけただけでしょ?
それから、関係者から見れば今回の「2in1」とかは本当に度肝を抜くサービスだ。他社では容易に真似できない、と言うのはまったくその通り。ひとり負けとか言われながらもドコモは相変わらず巨人であって、極論を言えばMNPひとり負けは「誤差の範囲内」だ。顧客満足度で他社に大きく引き離されることさえなければ、ドコモは今のままで存続する。「そろそろ反撃してもいいですか?」というしたたかな喧嘩の売り方は、有りあまる余裕の現れなのだ。まあ、傲慢さは多少鼻につくが、ユーザとしては特に困りはしない。
ドコモに勝てる事業者は、今のところまだ登場していない。

声優騒動で明かされたバイラルマーケティングの事実

2007年6月4日

「うわこれヤバいだろ」な女性声優業界事情 – 切込隊長BLOG(ブログ)
 元スレ:
  いろいろ妄想を書くお! / 2枕 / 3枕 – カジ速
ヲタ界隈の一部を騒がせているこの話題だが、タレコミ妄想を全部読んでみて気になったのは「○○をオリコン一位にするスレ」は全部が全部ヤラセだという点。あと「L社はバイラルマーケティングをよく研究してる」という点。
こっち系のアイドルは枕営業が当たり前とか、○○ブームは業者がうまいこと煽動してるっていうのは公然の秘密だし、今回のタレコミ妄想も業界のメカニズムを考えれば至極当然な話ではある。でもこれだけ説得力のあるまとまった情報が飛び出して来るとさすがに背筋が凍る。「あーなんとなくそうなんだよねー」という理解に対して現実を突きつけられた感じ。
で、バイラルマーケティングの話。

バイラルマーケティング 【viral marketing】
企業の商品やサービスを消費者に口コミで宣伝してもらい、利用者を広げるマーケティング戦略。「バイラル」は「感染的な」という意味で、マーケティングの仕組みをウィルスの感染・増殖に例えている。
IT用語辞典

仕掛ける方の業者は仕掛けていることがバレないからこそマーケティングとして成り立ってるわけで、バレたら仕事がポシャるどころか身元が割れて会社に泥が付く可能性がある。(たとえば2chだとSONYのGK祭りとか佐賀の監視祭りとか。テレビだとあるある騒動とか)。だからそのブームが釣りだったかどうかは最後まで分からないし、数あるネット上のブームの中でどれくらいが業者の釣りによるものかも分からない。業者はそれほど干渉できてないのかもしれないし、もしかしたら一から十まで巧妙に作り上げているのかもしれない。
これは従来のマスコミも同じだが、テレビや新聞やラジオなんていうのはもう熟成されたメディアだし、DとかHとか大資本にまとまってるし、政治的にも経済的にも能力的にも防御態勢が確立しちゃってるのでネットのように正体を表してしまうことはほとんどない。初期のネットというのはそうしたマスコミに対抗するかのように「大資本が容易には手を出せないメディア」としての地位を持っていたが、やはり人が集まるにつれてマーケティングの餌食にされるようになってきたようだ。
私は企業がネット上でたびたび馬脚を現すのを見て「ネット上の煽動作業もそれほど成功率は高くないんだろうな」とおぼろげに思っていたが、「○○をオリコン一位にするスレ」が100%業者によるものと言われるとさすがにやられた! と思う。こないだ私も危うくCDをまとめ買いするところだった。まったくヲタは釣られすぎだ。
いまは企業による釣りの成功率は高くなさそうだが、先に出たL社のようによく研究してる企業が増えれば、ネットの性格もかなり変わってくるのだろう。いや、もう既に既存メディア以上に自由自在に踊らされているのかも知れない。単純に「マスコミに踊らされるのが嫌だからネットを使う」という行動が危険すぎるということは覚えておかないといけない。
さて、よくある消費者意見はここまで。
私はバイラルマーケティングが大きく成長するような気がする。それはiモードが拡大して2chが話題になってmixiが登場したあたりから何度も何度も何度も何度も言われていることだが、やはりこの需要は今後も一貫して大きくなるに違いない。もしかしたらソーシャルメディアの拡大期が終わろうとしている今が参入の最後のチャンスなのかも知れない。L社のように先行した企業がノウハウを蓄積して、十分に市場が出来たところでバイラル専門事業とか始めるかも知れない。
バイラルマーケティング専門会社、誰かいまから始めませんか。

アインシュタイン・クイズ

2007年6月3日

あたまのたいそうー。
あれこれ…..: アルベルト・アインシュタイン出題クイズ – (via detourist)

このクイズはアルベルト・アインシュタインによって作られ、彼によれば世界中の98%の人は答えることができないだろうと言われている。
それぞれ異なる色をした5軒の家が並んでいる。各家には異なる国籍の人が住んでおり、その5人は、異なる飲み物を飲み、異なるブランドのタバコを吸い、異なるペットを飼う、という。
魚を飼っている住人は誰?

難問とか言うので気合い入れて解いてみたら1時間ほどで解決。
↓解けるとこんなかんじ。(クリックすると拡大)

メソッドさえ考えつけばあとは力ずくで解ける。
「98%の人が解けない」とか言うとものすごい少数のように思えるけど、数だけを見れば1億人以上いるってことだからなあ。日本の教育水準からするとあまり難しい問題ではないはず。それにアインシュタインが生きた時代は明治・大正のころなので、日本だけでなく世界的にも教育水準は上がってるんじゃないかな。まあ頭の体操ってことで。
あと、ホワイトボードは何かと便利だ。部屋一面をホワイトボードにしたいくらい。

リングアウト・トーク

2007年5月28日

今週末はとある友人が東京に行く用事があるとかで付き合っていました。この友人というのは以前私を折紙の世界に引きずりこもうとした数学科の研究生。通称リングアウト氏。
どうやら折紙学会の第2回大会が開かれるというので行ってきたようです。場所はいつものアジト(本郷近くにある謎のテナント)。前回、内容のヘビーさに面食らった(コッホ曲線を折紙で再現するなんて!)私はちょいと遠慮しまして、終了後に神保町で合流。そのまま古書店を巡って学術書を探し回りました。

トーク内容

まあ彼が数学系ということもあり、会話の8割は数学。
(残り2割は讃岐うどん)

  • 電話でじゃんけんを成立させるには
  • じゃんけんの手が3すくみ構造でなかったら
  • 集団行動をモデル化することで安倍晴明の政治的影響力を推測できるのではないか
  • スパゲティの細密構造にはどのようなパターンが考えられるか
  • 金属結晶の細密構造は経験的に分かっているだけであって数学的に最適かどうかは証明されていないらしい
  • 「数学的」という言葉の意味とは
  • 「数学的」に考えると都営新宿線は新宿を通るとは限らない
  • 小学生にも分かりやすくリー群を解説する
  • 新提案「うどん暗号方式」

電話でじゃんけんする方法は既にマルチパーティ・プロトコルという暗号化方法があるのですが、あくまで3つの手を使う「じゃんけん」を成立させようとすると難しくなることに気がつきました。マルチパーティ・プロトコルではたしかにAとBとの間で公平に勝負が着くのですが、親子関係が発生するんですね。Aが提示したクイズをBが解いて勝負が決まるイメージ。それではじゃんけんらしくないということで代案をいろいろ考えて難癖を付けあってるうちに「直接会って決闘して白黒を決めろ」という結論に。もはや暗号理論でも情報理論でもねえ。
ボツになった代案

  • 解くのに時間のかかる問題をそれぞれ用意して中に手の情報を入れておき、十分短い時間のうちにその問題を交換して互いに解きあう(→双方の計算結果が違って両方が勝利宣言をする可能性がある)
  • AとBの間に審判員であるCを置く(→Cがグル、あるいは買収される可能性がある)
  • AとBがせーので手を伝え合う(→一瞬のタイムラグを突いて後出しじゃんけんが可能…実際のじゃんけんも同じか)
  • 互いが絶対的に影響を与えられないものについて、将来の行動を推測する(→事象によって推測可能性にばらつきがある。そもそも50%-50%の確率にできない)
  • 量子ビットを利用し、量子情報がどちらにあるかで勝負を決める(→量子ビットをどこかに設置しないといけない。双方が公平に結果を検証することが困難)
  • 量子ビットと連動させた殺人マシーンを双方に置いておき、生き残った方を勝者とする(→理論上は公平だが機器が正常に動作したことを負けた方が検証できない。謀略の可能性がある)

そもそも、どちらかが嘘をつく可能性を極限まで考えると収拾がつかないんですね。マルチパーティ・プロトコルの例にあがっていたのは素因数分解が計算量的に困難なことを利用して、Aが素数の積(たとえば5783と9857の積である57003031)を提示し、Bに対して「掛けられている2つの数字のうち、大きい方の数字の下から2桁目は偶数?奇数?(答えは奇数)」と聞く。Bは制限時間内には逆算する暇なんてないから、あてずっぽうで答える。あとは答え合わせをして、Bの答えが合っていればBの勝ちとする。この方法も、答え合わせをしてBが間違っているにも関わらず「お前の計算が間違ってる。何度計算しても私の答えの方が正しい」とか駄々をこね出したら困るわけで。
というわけで、直接会って決闘するとか、審判員Cを買収した方が勝ちとかにすれば良いんじゃないかな。(もはや数学ではない)
あと、手が3種類ではないじゃんけんは成立するかについては、フランスなどでは「井戸」を入れた4種類あるらしい(パーは井戸をふさぐので勝ち、グーチョキは井戸に落ちるので負け)という話から脱線。パワーバランスが悪いような気がするので、5種類以上に増やしたらどうなるかという話になった。結果から言えばとりあえず5種類は公平に成立する。紙に5つの点を打って、全部の点同士を結べば一つの点からは偶数本の線が引ける。だから、ある手よりも強い手と弱い手が同数あることになって公平。線を矢印に変えればいちおう検証可能。たぶん奇数ならいくらでもいけるんじゃないかな。
まあ、5種類ならグーチョキパーに加えてあと2つ手の形を考えないといけないけど。分かりやすい説明も付けて。

それにしても彼は頭おかしい。登大遊氏のよく使う意味で頭おかしい。ACではないけれど、発想が斬新すぐる。うどんで暗号化するとか素晴らしすぎる。登大遊氏のよく使う意味でこれはすばらしい。絶対に頭おかしい。
しかし、いまだに彼の素性はよく分からない。いまどこに住んでいるのかも結局分からなかった。もしかしたら放浪する数学者なのかもしれない。やっぱり頭おかしい。

リスクを集中させるという発想――個人用シンクライアントビジネスの可能性

2007年4月30日

家庭にはPCの代わりにThinClient(シンクライアント)を – Web屋のネタ帳
これを読んで目から鱗が落ちました。そうか、シンクライアントという手があったのか。
PCが動かなくなったとかで度々実家から電話がかかってくることがあるんですが、電話でのサポートって限界があるんですね。しかもうちのPCは今年で7年目になるWin2kマシン。何をしても動かないこともあるし、突然動き出すこともある。まるで装備の大半が壊れた観測衛星を8000万km離れて運用しているような頼りないものです。
と、そこでシンクライアントの登場です。(シンクライアントとは
家庭に置いておくのはネットワークさえ繋がれば使えるような単純設計のマシン。パソコンに比べれば故障確率も格段に低いでしょうし、データの紛失・破損も少ない。実家PCを管理することの何が大変って、不具合や故障が再々起きる、故障が発生しても原因を突き止めにくい、対策が分かってもリモートのために何も出来ないことがある、の3つ。
シンクライアントであれば、クライアントマシンが最低限機能しか持たないため故障確率が比較的低い(特にHDDの不具合!)。しかもサーバを手元で管理できるため故障時の対処が簡単。実家PCの用途はネットブラウズぐらいなのでリッチな装備は不要。それにサーバ-クライアント間の通信が出来ない場合はすなわちネットブラウズもできない状態なので、不具合発生リスクはほぼネットワークに依存するだけ。
あとは手軽で安価なシンクライアントソリューションがあるかというところですね。たぶんビジネスユースの高いものしかないんでしょうけど。フリーのツールがあったとしてもクライアントPCを用意して実家に据え付けに行くのが面倒だし、何よりサーバの運用が難しい。どこか個人用シンクライアントのパッケージサービスってないんでしょうか。
別にうちの実家に限らず、田舎に住んでるおじさんおばさんでPCに疎いけどネットがしたい人、でも出張修理に数万円も払えないという人に受けると思うんですがねえ。デジタル環境整備に予算を投じられる地方自治体なら自前でデータセンタを構築してもよいと思います。
(追記:既存業者によれば個人向けサービスも検討の余地はある、とのこと)

余談

さて、ここまで書いたところで「ネットを見たければWiiのインターネットチャンネルがあるじゃないか」とどこかからツッコミが入った。ふむ、うちの実家の発注管理に使えるならば業務をそっくり任せてもいいが、キーボードが使えないので無理かも知れない。うーん残念。
WiiじゃなくてもMacとかSONYのロケフリ製品群とか、PSPとかS01SHとかでワンパッケージで実現できれば言うこと無しなんだけど。

ローカルトーク

2007年4月20日

うちの職場に新しく人が来たとかで飲んでいたんですが、その人が同じ高校出身でかなりびっくり。うどん屋三宝とか補習科のPバッチとか、初対面でこんなローカルトークしたの数年ぶりですよ。8年ほど先輩の人だったんですけど教師陣の話がほぼ通じてしまうのが恐ろしい。さすがは異動が極端に少ない高校です。
ちなみに話題に上った教師の順番は以下の通り。
・K金(体育)
・I川(国語)
・S栄(数学)
・O(英語)
こういうときの思い出す順番というのはたぶんインパクトの強かった順なのだろう。校内中から嫌われていたK金がなぜか真っ先に出てくるという事実。記憶に刻み込まれる条件は極端に面白かったか、極端に嫌っていたかのどちらかなんでしょうね。
 
死ぬ直前の走馬燈の中にもK金の顔が浮かんできそうな気がしてならない。

今日も今日とてドクターペッパー

2007年4月10日

Dr. Papper
最近のお供はペッパー先生。
こないだ会社の自販機で見つけてからは毎日飲んでる。特にストレス負荷が高まると手が伸びる。一日一本、三日で三本、週末働きゃもっと増える。
せっかくモバイルでブログ更新できる環境が整ったというのに、家にほとんど帰ってないから会社の話題しか思いつかないのは寂しいことだね。先週は本部長と共謀して自社のコールセンターにイタ電して遊んだ、とか、課長に捕まってコロッケに対しての殺意をとうとうと聞かされた、とか、この間のホワイトデーに「娘とかみさんに何をお返ししたらいいか」という議論だけで丸ごと30分の会議が終わりかけた、とかそんな話しか思いつかない。
仕事しろ。

社会人2年目に突入

2007年4月4日

業界の常識を覆すとか言うのは簡単ですけど、いざやってしまった後で実はそれがパンドラの箱だったことに気がついたりするのです。そんなこんなで今日もオフィスは大運動会です。
最近自分が大きな渦の中心近くで踊っているような気がしてならない(´・ω・`)

考えるな、感じるんだ――論理的思考を減らそう

2007年3月26日

論理的思考の放棄 (登 大遊@筑波大学情報学類の SoftEther VPN 日記)
http://d.hatena.ne.jp/softether/20070324#p1
登大遊氏が面白いことを書いてます。彼は一日最低3000行、最高でも1万行という凄まじいペースでプログラミングをします。そのプログラミングのステップを分解すると作業の大部分は論理的思考の入らない感覚的作業でした。だからプログラミングをするのは論理的な作業とは言えないですよ。てな話。
天才が語る「論理的思考」は凡人の考えるそれとは違うのだな、というのがよく分かりました。
彼にとってはおそらくプログラミングに必要な「論理的思考」はただのルーチンワークなのでしょう。自転車の乗り方をいちど覚えてしまえば次からは考えなくても乗れるように、彼にとってはロジックを組み立てることが手足の感覚のように当たり前の存在になっていて、労力も時間もさほど必要としないレベルにまで自動化されている。だから構想や設計といった感覚的なものしか彼の意識上にはなくてこのような極論になったのではないかと推測します。いいですね。無駄なこと一切を無意識が勝手に処理してくれて特に考える必要がないっていうのは。
だから天才の言うことは私たちとは一切関係ないんだよ、という話をする気はありません。無意識の効率的な使い方は天才に学ぶべきと言いたいのです。自転車の乗り方を覚えたとき、それは身体が覚えたのではなく「必要な一連の動作を無意識化で処理できるようになった」だけに過ぎないのです。登氏がプログラムを書くのはおそらく自転車に乗るのと変わらないのでしょう。つまり、考えなくてもペダルはどんどんこげるので、あとはハンドルを右に曲げるか左に曲げるかだけしか考えなくて良い。それは簡単に言えば「慣れ」です。
毎日自動車に乗っていれば、考えなくても運転動作が出来るでしょう。毎日学校に行っていれば、考えなくても目的地に着けるでしょう。毎日マクドナルドで働いていれば、考えなくてもマニュアル文章が口から出てくるでしょう。すべては慣れです。必要動作をことごとく無意識に任せてしまうのが「慣れる」ということです。
ということは、作業に占める「慣れ」の比率を極限まで高めれば登氏のような異常なペースも不可能ではないのですね。まあ言うのは簡単ですけど、退屈な作業があったらそれを退屈なままで終わらせずにさっさとオートメーション化して次へ行け、いつまでも低いレベルの思考をするな、ということです。それを彼は「努力しない」「頭を使わない」という言葉で表現しています。これはよく言われる「優秀なプログラマは面倒くさがり」ということを支持していますね。
さて、私の場合ですが残念ながらプログラミングが得意ではないことに最近気がつきました(作業自体はかなり楽しいんですが生産性が低すぎる)。その一方で文章を書くのはわりとすらすらいけます。5年以上書いているので無意識で片付けられる部分が増えてきたのですね。では文章を書くことにおいてこれ以上無意識に任せられる部分はあるのでしょうかね。テーマと構成だけを決めればあとは考えずにキーボードを叩くだけ、とかそういうレベルになればいいですね。
さて、あなたの目の前にある作業で次に自動化できるところはどこでしょうか。(啓蒙書風に終えてみる)

参考

論理的思考の放棄 – 登大遊のSoftEther VPN日記
論理的思考の放棄2 – 前エントリの追記
 ・登氏のコメント欄にしては珍しく質が高い
論理的でも非論理的でも良い
直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。