ネット界隈でえらい騒ぎようだったテレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」が終了してしまった。ちなみに原作は一冊しか読んでません。
この話のあらすじを3つの台詞で説明すると、
(高校入学時の涼宮の自己紹介)
「教えるわ。SOS団の活動内容、それは宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶことよ!」
(涼宮が作った部活への勧誘文句)
「しかしこの数ヶ月ほど、明らかに人智を越えた力が涼宮さんから放たれたことは解っています。その結果は、もう言うまでもありませんね」
(自称超能力者・古泉の台詞)
てなわけで、不思議を求める涼宮の元に不思議の当事者たちが集まってきて(ただし涼宮本人はその事実を知らない)、当の涼宮自身も並の存在でないことが明らかになっていく、というお話。
ここでちょっと気になったのは、不思議を求める涼宮の動機。
「小学生の、六年生の時。家族みんなで野球を見に行ったのよ球場まで。あたしは野球なんか興味なかったけど。着いて驚いた。見渡す限り人だらけなのよ。野球場の向こうにいる米粒みたいな人間がびっしり蠢いているの。
日本の人間が残らずこの空間に集まっているんじゃないかと思った。でね、親父に聞いてみたのよ。ここにはいったいどれだけ人がいるんだって。満員だから五万人くらいだろうって親父は答えた。試合が終わって役まで行く道にも人が溢れかえっていたわ。
それを見て、あたしは愕然としたの。こんなにいっぱいの人間がいるように見えて、実はこんなの日本全体で言えばほんの一部に過ぎないんだって。
(中略)
それまであたしは自分がどこか特別な人間のように思ってた。家族といるのも楽しかったし、なにより自分の通う学校の自分のクラスは世界のどこよりも面白い人間が集まっていると思っていたのよ。でも、そうじゃないんだって、その時気付いた。
(中略)
夜、歯を磨いて寝るのも、朝起きて朝ご飯を食べるのも、どこにでもある、みんながみんなやってる普通の日常なんだと思うと、途端に何もかもがつまらなくなった。そして、世の中にこれだけ人がいたら、その中にはちっとも普通じゃなく面白い人生を送っている人もいるんだ、 そうに違いないと思ったの。
それがあたしじゃないのは何故? 小学校を卒業するまで、あたしはずっとそんなことを考えてた。考えていたら思いついたわ。面白い事は待っててもやってこないんだってね。中学に入ったら、あたしは自分を変えてやろうと思った。
待ってるだけの女じゃない事を世界に訴えようと思ったの。実際あたしなりにそうしたつもり。でも、結局は何もなし。そうやって、あたしはいつの間にか高校生になってた。少しは何かが変わるかと思ってた」
(涼宮ハルヒの憂鬱 第6章より)