文字数制限があると書き始め易いという話

2011-07-14 04:23 | 短文 | 文字数制限があると書き始め易いという話 はコメントを受け付けていません。

これから、昔と同じように短めの文章を定期的に書いていこうかと思う。

もともと私の文章を書きたい衝動のはけ口となっていたこのサイトだが、定期的に文章を書かなくなってもう5年くらいが経つ。肝心の文章を書きたいという衝動はだいたいTwitterで満たされているので、これはこれでなんとかなってる。(Twitterを始めたのは4年前のことだ)。でもなんだか書きたい放題に断片的なことを書くだけで終わってて、いまいちまとまりのない感じになっているので、そういうものをまとめるような場所も必要かなと思ってはいるのだ。

私にとって、ブログというところは自由なフィールドであると同時に書きづらい場所だ。なぜなら文字数制限がない。そして私は「ちゃんと書けるならまとまりのある文章を書きたい」とも思っている。だからブログで書こうとするととたんにハードルが上がる。書きたいことを積み上げようとしてゴールが遠くなる。書き進めない。ああでもない、こうでもない、そして完成しない。そして私のPCの中(と、Evernoteの中)には書きかけの文章の山がたまっていく。
ところがTwitterはどうしようもなく厳しい文字数制限がある。こうなるとまとまりのある文章など書くどころでは無い。与えられたフィールドの中をどう切り取るか、数少ない文章の中でどう意図通りの伝え方をするかに知恵が絞られる、あるいは、数少ない文章の中でいかにインパクトを与えるかというところが勝負になる。すると満足地点が低くなるので完成までのハードルが低い。適当な書き方でも「ま、いいか」でポストできる。(何しろ、一文の完成度を上げるより、低クオリティでも数多くポストする方が存在を認めてもらえるのだ)。だから、適度に文章を書き、適度に知恵を絞るだけでなんとなくそれっぽい意図が伝えられ、なんとなく文章を書きたい衝動が満たされてしまう。エッセイが書けなくても俳句なら作れる。そんな感じだ。

Twitterは文章を書くハードルが低いけれど、やっぱりどこかで考え方をきちんと構成しながら、まとまりのある文章を書いておかないとなあと思う。俳句は解釈の幅が広いので、適当に作った文章でもなんとなくそれっぽく見えてしまうし、勢いでRTされるし、Togetterにだって載ってしまう。白いキャンバスに適当にカラフルなペンキをぶちまけても芸術と言われれば芸術だし、表現の一つとして認められる。でも、そういうものだけじゃなくて、建築士が家を建てるように、NASAが宇宙船を設計するように、ドリフターズがアドリブを一切入れずに役をこなすように、よく練られた文章というのも道具の一つとして必要だと思う。そういう場所としてブログをもう少し重視していきたい。

手始めに、Twitter日本版の全角140字制限を5倍した700字、あるいは10倍した1400字を基準として定期的に文章を書けるようにしたい。
野口悠紀雄氏によれば、文章の長さを分類すると次の四種類になるらしい。

(1)パラグラフ――150字程度。
(2)通常「短文」といわれるもの――1,500字程度。
(3)本格的な論文などの「長文」――15,000字程度。
(4)「本」――150,000字程度。
(書籍『「超」文章法』より)

(1)のパラグラフの150字程度というのはTwitterの長さ(140字)と同程度だ。そして、SMSの長さ(140字)でもある。150字、1500字を書けるようになれば、そのうち15,000字も難なく書けるようになるんじゃないかと期待している。
かつて私が毎日ウェブ日記(ブログ文化が出てくる前の公開日記のことだ)を書いていた頃、だいたい700字程度になっていた。自分にとっては、たぶんこれから先もこの文章の単位が基準になっていくんだろう。だから、そのサイズか2倍のサイズあたりを目安にしてみようかと思う。
実際、めっきり書かなくなって以降で、何かの弾みで単発で書いたものもだいたいそれくらいだしね。

ともあれ、書きたいことのストックは山ほどあるから、しばらくはノリノリでキーボードを叩いていこう。

(1687字)

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