みんなはmixiの中で何を見てるんだろう?

2006-09-04 01:07 | 雑記 | みんなはmixiの中で何を見てるんだろう? はコメントを受け付けていません。

立ち上げ初期の頃からずっとmixiを使っているが、未だにmixiが分からない。mixiを使って何をしていいのか分からないし、みんながmixiに何を期待しているのかも分からない。

ちょっと長くなりそうなので、何回かに分けてmixiの価値について書きたい。とりあえず今回は「mixi日記」について。

1.読む気になるようなmixi日記とは


mixiに入り浸っている人はいったい何を見ているのだろう。友人登録した人の日記を読んでいるのだろうか。しかしmixi日記を読むことはブログを読むのとは違うような気がする。私の見たところ、どうもmixi日記の内容は全体的に薄いような気がする(ことわっておくが、価値がないという意味ではない)。今日は何食べた。どこに行った。電車の中にこんな人がいた。研究室の先生がこういう事言った。一般に個人色が強く、本当に「日記」として使っている人が多い。紙に付けてる日記をそのまんまmixiに転載していますよ、といった感じで、少なくとも「Web日記」や「blog」とはまったく違う。友人以外には内容がさっぱり分からないぐらいに個人色が強い。

そんな内容が一日に何十と書かれ、何十というコメントが付く。いちいち読んでいてはやってられない。たしかに友人が日々やっていることを知りたくないわけではないが、総勢何十人の友人の日記に全部目を通せと言われても困ってしまう。mixiのトップページを開くと友人が書いた日記のタイトルがずらりと並ぶ。まるで「全部読め!」と言っているかのようだ。RSSリーダなら読む日記と読まない日記を取捨選択できる。しかしmixiでは一応全部のタイトルが表示される。これは非常に疲れる。

たまに友人から携帯に「○○名物アイスクリームを食べてます!」という意味だと思われるアイスクリームの写真付きメールが送られてきたりする。これが例えば、携帯の電話帳登録してある人全員から、それも毎日送られてきているのを想像して欲しい。mixi日記はまさにそれだ。コメントをつけるなどというのは、そのどう反応していいか分からない写真付きメールの一つ一つに律儀に返信するようなものだ。時間がいくらあっても足りない。ましてや友人以外の日記などに目を通す気になるはずもない。

正直言うと、誰が何をしていようが知ったことではない。私がmixi日記に価値を見いだすとするなら「何に興味を持っているか」と「何をしている(しようとしている)のか」だと思っている。今日朝寝坊した。食堂の飯がまずかった。そんなものはどうでもいい。それより、みんな知らないとは思うけど新居昭乃ってこんなに素敵、とか、私が見守ったハンカチ王子の勝負の感想、とか、ティファールの電気ケトルまじ使いやすい、とか、会社辞めてベンチャーに転職しようと思うんだけどみんなどう思う? とかの方がよっぽど読む気になるしコメントする気になる。そして、mixiでこそ取り扱う意味がある。

どうにもブログブームに足を引っ張られてmixi日記は骨抜きにされているような気がする。義務感で日記を書かれると読んでいる方は寂しい気分になる。携帯カメラの画像と共に「今日の晩ご飯はハンバーグでした」の一文だけ日記を書かれても、どう反応していいか分からない。「うん、ハンバーグだね」か「で、何が言いたいの?」ぐらいしか思いつかない。これはmixi日記に限らずブログでも同様だ。(しょこたん☆ぶろぐは除くよ)

2.世の中には二種類のブログがある

いったんちょっとブログの話に脱線しよう。私の認識ではブログには二種類ある。情報発信を目的とするブログと、コミュニケーションを目的とするブログだ。

前者はいわゆる「狭義のblog」で、一定の統一感を持って伝えたいことを不特定多数に対して発信する。一定の視点や特定のテーマなど、内容に一本筋が通っており一定数の読者が自然と集まり、よく入れ替わることもある。

一方の後者はいわゆる「チラシの裏」で、日々思ったことや近所の話題や家庭や職場の出来事など、ローカルな話題を自分の周りにだけ伝わる言葉で書き、それに対してリアル知人からこれまたローカルな内容のコメントが付く。読者はリアル知人だけなので増えることはないし、その中でコミュニケーションがとれることが存在意義となっている。

別にこの2つに収束するわけではないが、ステレオタイプ像としてはこの2つだ。多くのブログはこの両方の要素を持っていて、そしてどちらかを目指していると考えている。

ブログブームによってブログ開設(というかネット上で文章を公開すること全般)の敷居が下がったことで、主に後者のブログが増えたような気がする。何はなくともブログを作り、ネタがないので身近な話題。ブログはステータスシンボルになり、内輪でのコミュニケーション手段の一つとなった。

コミュニケーション目的の内輪ブログが増えたことで「web日記」や「狭義のblog」に慣れた人たちは大いに混乱した。たとえば検索ノイズの増加だ。一見さんにはよく分からない文章がばしばし検索に引っかかる。そしてあまり(第三者的に見て)内容がない。大手検索エンジンでブログ除外機能が登場したことからもその不満ぶりがうかがえる。

話が少しずれたが、「Web日記」世代やらアメリカの「blog」文化に影響を受けたネット民とは離れたところで「ブログ」という「ツールらしきもの」が流行った。そのおかげで、その目的の違いから二種類のブログの温度差は広がるばかりだった。

そこに少し遅れてmixi(をはじめとするSNS)が登場した。mixiとはもともとコミュニケーションツールなので内輪ブログとは親和性が高い。「今日ゎアイスクリームを食べたょ☆」のような一文だけで構成されたブログはこぞってmixiへと流れていった。どうせ読む人が限定されてるから閉じた場所に公開しても問題がないし、誰が読んだかよくわかるし、コメントも比較的つきやすいし、毎日mixiを使っていればLivedoorやらAmebaなんかで面倒なことしなくても初めからmixi日記を始められる。そんな理由だ。

私個人としては、コミュニケーション目的のブログは全部mixiだか他のSNSだかに移って欲しい。そうすれば検索ノイズは軽減する。mixiの中なら非公開扱いなのでウェブ検索に引っかかることもない。そうは言っても私はたまに検索したキーワードが1件だけ引っかかり、それが内輪ブログの中にちらっとだけ書かれてあって助かったりすることもある。しかしそれ以上にノイズの多さが目に余る。第三者に読ませる気のない文章はSNSでやって欲しい。

3.mixiを毎日見る理由

さてmixi日記に話を戻そう。mixi日記は情報が属人的なために密度が低い。だから読む気が失せる(ことわっておくが、みんなが書いているmixi日記に価値がないという意味ではない)。「1.読む気になるようなmixi日記とは」で挙げたような内容でないと読もうという気にはならない。しかし別にそういった読ませる日記が多いというわけではない。

mixiは大人気だが、いまいちそこが腑に落ちない。読む気のしない日記が大量に公開されて、何だか分からない義務感とか惰性とかで何時間もそこにつぎ込んでしまっている人がいる。そんな時間喰らいの「場」が今後どのように発展していくと言うのだろう。mixiがポータル化したことを知って愕然とした。つまりmixiは「もっとここにいろ」と言っているのだ。内容の薄い日記を読むことに時間を費やせと言っているのだ。

さて「1.読む気になるようなmixi日記とは」の章で、書いている友人が「何に興味を持っているか」と「何をしている(しようとしている)のか」が分かる内容なら読む気が起きると述べた。そしてそういった内容は実際にちらほら見かけるし、好んで読む。しかしそれでも私は毎日mixiを覗いたりはしていない。なぜか。

そんなものは別に毎日読む必要がないからだ。数ヶ月に一度mixiを覗いて「あーこの人はこんな趣味も始めたんだ」とか「そうかこの人は最近こんなことをしているのか」とかが何となく分かればいい。毎日会う人でないならその人の最新情報を毎日知る必要もないし、毎日会う人ならmixiなど不要だ。こういう使い方をしていると毎日mixiを読む人の気持ちがさっぱり分からない。

4.mixi日記を書いてみようか

読むのではなく書く方を考えてみよう。毎日mixiを開いている人はもしかしたらmixi日記を書くことがメインで、もののついでに読んでいるだけなのかもしれない。だとしたら、私もmixi日記を書けば気持ちが分かるのだろうか。

私はすでにここで文章を書いているので、新しくmixi日記を始める理由は特にない。ではmixi日記ならではの特徴を生かす方法を考えよう。

まず、公開する範囲が選べる。しかし全体に公開したところで見る人はmixi内部に限定されるし、そうするくらいならここで書く。友人に公開してはどうか。それでは友人にしか公開できない情報とはいったい何だろうか。職場の悪口?(幸か不幸か職場にはmixiでの存在を知られていない)それとも2ちゃんねるヲチ板住人の好きそうな炎上必至の話題? 残念ながらそんなものを書く気はない。それに「友人まで公開」といっても友人登録している人なら誰であろうと全員に公開される。自分の先生をマイミク登録したばかりに過去のmixi日記のその先生について書かれた部分をすべて書き換える羽目になった人を私は知っている。

結局、公開する範囲が選べてもあまり魅力ではなかった。むしろ読む人の範囲が限定されるので、幅広く情報を伝えたいと思ったときに新規読者の可能性が限られてしまうのが痛い。やはりブログの方がよい。

では、足あとで来訪者が分かるというのはどうだろう。これは正直あまり興味はない。カウンタがいくら回ろうと知ったことではない。特定の誰かが読んだ事実にあまり興味がなく、どのテーマに人が集まったかの方が興味がある。そんなものは現状のアクセス解析で十分だ。

今言った2つに付随するが、炎上リスクがなくなるというのはどうだろう。ブログの炎上とは発言と行動に問題のある人のみに許された貴重なイベントだ。多くのサイトは炎上サイトの条件を満たさない。嘘だと思ったら、自分で炎上するようなサイトをわざと作ってみせて欲しい。少なくとも私では無理だ。真性天然のDQN野郎か、社会に一定の地位があって実名で活動している人か、エンターテイナー精神に溢れ最後までピエロを演じきれるような人でないと(炎上サイトを作るのは)難しい。

そして何より、そもそも批判を恐れていればこうやって文章など書いていない。やはり私にはmixi日記に移る理由が見つからない。

私の考えるmixiの「ゆがみ」

結論から言えば、mixiは迷走している。人が集まりすぎて方向性を失い、運営側も何をしていいのか、ユーザは何を期待していいのか分からなくなっている。とりあえず今は小さなサービスの集合体として何とか続いているが、今後どうなるかはさっぱり分からない。

mixiでは情報の集積度が低い。それは情報のすべてに人格情報がついてまわり、純粋な情報のみを抽出することが難しいからだ。情報を求めて歩き回っても余計な情報が多すぎて途方に暮れる。むしろmixiの価値の根源は「その人が言うから」「その人が勧めるから」「その人が興味を持っているから」といった人格の信用なのだから、それを生かすようなことをやって欲しい。どうも管理側はあれもこれもと情報を流しすぎているような気がする。Google検索のように、何かのトピックについて「はて、これについてみんなはどう思ってるのかな」などと気軽にmixiを開いては閉じるようになれば、本当にmixiは浸透したと言えるだろう。つまりmixiの滞在時間を延ばすのではなく、細かいログイン回数を増やすことだ。

そのためにも「そういった時にはこういう使い方をしてくださいね」という道筋が欲しい。「mixiが分からない。何をしていいのか、何を期待していいのか」という、このエントリの初めにある気持ち悪さはその道筋が見えないからだ。私はmixiを「場」ではなくただの「ツール」としか思っていない。ツールはツールらしく取扱説明書を提示して欲しい。

でもいくらツールと言っても「タイムマシン(=一瞬で数時間後の世界へひとっ飛び)」という使い方だけは勘弁な。

おまけ

(Mac Power 9月号の宮沢章夫氏のコラムに「mixiの使い方が分からない」とあり、私がかねがね考えていたことに似ていたので影響されてこのエントリを書きました)

(この文章を書いている途中、某友人がmixiの採用を受けるとか聞きました。ビジネスモデルについて理解して私に分かりやすく解説してもらえると嬉しいカナ)



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