アルベルトおじさんの恐怖

2014年4月20日

アルベルトおじさんは人にいちゃもんを付けることを日課にしている。
アルベルトおじさんは不思議な存在で、どこからともなく現れる。たとえば学術的な会議に現れる。アルベルトおじさんは主流派の意見を認めない。人の意見にあらゆる反例を見つけてくる。「地球は太陽の周りを回っている」なんていう誰もが認めている事実も、おじさんにかかれば「そんなものは事実ではない。私は認めない」となってしまう。アルベルトおじさんは時には孤独な存在だが、時には大勢の味方を連れてくることがある。「人類は猿から進化した」なんていう進化論も、宗教団体を呼んできて「そんなもの私は認めない」となってしまう。
学術的な会議のほか、アルベルトおじさんは政治の場にも現れる。たとえばある政策の実施可否について社会的な統計データを持ち出せば「それを覆すデータがある」とか「そのデータは意味をなさない」とか「私の経験的には…」とかいろいろといちゃもんをつける。またあるときは裁判所にも現れる。証拠として不十分とか、責任能力がないとか、立証する意味がないとか、いろいろ難癖をつけて人のいうことを認めようとしない。
ときには人々がアルベルトおじさんの言い分に耳を傾けることもある。アルベルトおじさんの主張したことが教科書に載ることもある。しかしその時はすでに別のおじさんが現れて、またいちゃもんをつける。
アルベルトおじさんは神出鬼没だ。アルベルトおじさんは世の中の多数の人から疎まれる存在だ。でも、アルベルトおじさんはへこたれない。そして、アルベルトおじさんは長い歴史の中で大きな貢献をしてきた。アルベルトおじさんが居ずに世の中は成り立たない。議論をかき回す存在がいなければ、人間の目というものは曇ったままだからだ。

オカルト理論に反論する大槻教授
オカルト理論に反論する大槻教授(画像はイメージです)

世の中には「事実」と「真実」があるとよく言われる。事実は主観的で相対的。真実は客観的で絶対的。しかし「真実」などというものはこの世のどこにも存在しない。アルベルトおじさんはそのことを私たちに分からせてくれる。
「地球は太陽の周りを回っている」という学説がある。というか、もはや教科書に載るほどの定説で、誰もがこの事実に同意し、これが事実であることを前提にして世の中は回っている。となると、この学説は「真実」だろうか。残念ながらそうではない。仮に、すべての人が一人残らずこの学説に同意したとしよう。そして、未来永劫、人類のいる限りすべての人がこの学説を事実だと認め、信じたとしよう。そうすれば、「真実」と言っていいかもしれない。なぜならすべての人間の持つすべての認識の中でこの学説は「真」になるからだ。
ところが、実際にはそんなことはあり得ない。誰もが頷ける事実だったとしても、いちゃもんを付ける人が一人でもいると、それは「ただの学説の一つ」になってしまう。対立する別の学説がある限り、学説は真実になることはない。そして、人類が2人以上いる限り、すべての人間の意見が一致することはない。どのような意見にも、アルベルトおじさんは反論してくる。対立する仮説を持ち出してくる。「それは事実ではない」と疑ってくる。
STAP細胞だってそうだ。その存在を示した論文に対して「本当かな?」と疑いの目を持った全世界のアルベルトおじさんたちが、実際に試してみて疑いを指摘している。
(加えて門外漢のアルベルトおじさんたちも、有ること無いこと挙げていちゃもんをつけているけども)
科学の進歩というのは、そういうことを繰り返して繰り返してここまでやってきた。つまり、ある説に対して別の説があることを認め、客観的に立証する方法を提供し、それに沿って矛盾のない説明ができれば、おおよそ「客観的に見て真実の可能性が高い」と判定する。ある説について対立する説を一切認めなければ、それは宗教になってしまう。
アルベルトおじさんは面倒な存在だ。しかし、アルベルトおじさんはたくさんの議論の足切りをしてくれる。盲目な私たちに新たな視点を与えてくれる。アルベルトおじさんの存在があるからこそ、ときには相手にする価値もないような意見や、たくさんの不毛な議論に身構えることができる。気にせず通り過ぎることができる。無駄な労力を使わなくてすむ。
そんなみんなの嫌われ者、アルベルトおじさん。
ありがとう。アルベルトおじさん。
そして、これからも永遠に。

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