数学教師が教えてくれた「問題を解く」ということ

2012年9月17日

高校の時の微積分(数学Ⅲ)の教師は、数式とその展開を黒板いっぱいに書いて「さあ、写してください」というものだった。そして全員の作業が終わると次の数式をまた黒板いっぱいに展開していき、最後まで解き終わると「さあ、写してください」。ずっとこれの繰り返しだった。問題によっては簡単な解説が入ったりするが、解説がないこともあった。
おそらくこれを見て「詰め込み教育」と思う人がいるだろう。私もそう思う。だけど私はこの教え方が好きだった。はじめてこの方法を見たとき私は衝撃を受け「そうか、数学は暗記科目なのか」と思った。そして事実そうだった。私は数学を丸暗記することで受験を乗り越えることができた。
これはあくまで高校数学の話で、実際には数学はすべてそのように丸覚えで事足りるものではない。高校数学(あるいは受験数学)では解く時間が限られているから、それをチートするために暗記が威力を発揮するというだけのことだ。大学に進んだ私は同じ手法で暗記を繰り返して失敗し、代数学や微積分学を再々履修するはめになった。そして最終的に、暗号理論や情報理論といった応用例を見た後にようやく基礎を理解した。(初めから応用とからめて教えてくれ!と当時の私は思ったものだ)
さて高校の話に戻る。
その数学教師は見るからにステロタイプな数学教師だった。例えるなら石神井先生(キッチョメン!石神井先生)とか森秋先生(それでも町は廻っている)のようなイメージだ。光るメガネ、冷静な眼差し、白い顔、ぴっちりズボンに入れたシャツ、淡々と区切るようにしゃべる癖、定規で測ったようなおじぎ、正確な時間行動、そして学習に対しての厳しさ。彼によって膨大な赤点答案が生み出され(クラス平均点が赤点以下ということもあった)、何度もの追試が行われ、その学校の数学力は守られていた。
「式を展開していけば必ず解けます」
あるとき、長い式展開を終えた後に先生は言った。
一見難しい数式も形を変えていけば辿り着く場所があると解説をした。そして続けた。
「どのような難しい問題も解けるまで諦めなければ、それは解けます」
それは数学について言ったのではなく、世の中全般について言ったのだと思う。
やがて大人になった私は様々な問題の解き方を知った。
実際には解けない問題や、解かない方がいい問題もあるので「問題との向き合い方」といった方がよいかもしれない。

  • 問題を解く
  • 問題を解き、一般化する
  • 問題を解かないですむ方法を見つける
  • 問題は解けないが、別の問題に移し替えて解く
  • 問題は解けないが、条件付きで解く
  • 問題は解けないが、将来解けた先のために別の問題を解いておく
  • 問題は解けないが、その問題を解くことについて価値が低いと評価する
  • 問題を一般化して、将来問題が解けたときの価値を高める
  • 問題が存在しないかのように隠す
  • 問題を無意味にする
  • 問題に関心を持たない

たとえば、山道の真ん中に大きな落石があって通れないとしよう。

  • 人を集めて人力で落石をどかす
    (問題を解く)
  • 重機を用意して落石をどかし、次からも重機が通れるように道を整備する
    (問題を解き、一般化する)
  • その道を通らなくてはいけない用事をキャンセルする
    (問題を解かないですむ方法を見つける)
  • 落石を迂回する山道を作る
    (問題は解けないが、別の問題に移し替えて解く)
  • 落石を半分土砂で埋め、身軽な人だけ乗り越えられるようにする
    (問題は解けないが、条件付きで解く)
  • 新たな落石がないように対策をする
    (問題は解けないが、将来解けた先のために別の問題を解いておく)
  • より安全な山道にするようにロビー活動を始める
    (問題を一般化して、将来問題が解けたときの価値を高める)
  • 山道を閉鎖する
    (問題が存在しないかのように隠す)
  • 落石を気にしなくていいようロープウェイを通す
    (問題を無意味にする)
  • すべてを諦める
    (問題に関心を持たない)

さしずめこのようなアプローチで解決を図ることになるだろう。
問題を解くべきか解かないでいるべきかで言えば、やはり解く方がいい。「分からない」は「分かった」にした方がいい。「できない」は「できる」にした方がいい。そんなことは分かっている。でも時間や予算や労力が限られているから、諦めることを含めた上記のオプションから適切なものを選択して、問題を「解けた」ことにするのだ。
数学教師の言った「解けない問題はない」という言葉はそれを理解するための出発点となった。今になって思えば高校数学の問題の中にはエレガントな解き方もあったし、力づくの解き方もあったし、いろいろなバリエーションがあった。しかしどのような方法であれ最後には答えがあった。暗記でやり過ごした私はもう解き方などすべて忘れてしまったが「方法を尽くせばそこに解がある」という哲学的とも宗教的ともいうべき思考はそこで培われ、私の考え方の基礎となった。
数学教師の話には続きがある。
「どのような難しい問題も解けるまで諦めなければ、それは解けます」
の後に、彼はこう続けた。
「私が今までそれで解けなかったものは、女性だけです」
クラス全員が爆笑した。彼は独身だった。
彼が「今まで解けなかった」といっているのは諦めたということなのか、それともまだ解いている途中のつもりだったのかはよく分からない。

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