ついさきほど、購入からまだ半月しか経っていない私のiPhoneがスパイダーマンになってしまった。
夜勤明けの帰宅途中、バスに遅れそうだったので全力疾走したところ、彼は胸ポケットから緊急脱出。そしてパラシュートは開かないまま地上に激突。防護カバーもなく、液晶フィルムもなく、ストラップもなく、支えるものはイヤフォンだけという状況。「iPhoneはフォンジャックがしっかりしているし、もしもの時もイヤフォンが命綱になるだろう」と思っていたが甘かった。たしかにジャックからコードは抜けることがなかったが、延長コードの結合が緩かった。嗚呼。
笑うがよい。この無様な姿を笑うがよい!
表面のガラスが割れただけなので、起動するし、タッチもできるし、動作には支障がない。でもガラスが破片になっているので危険きわまりない。
これは貴重な教訓だ。同時期にiPhoneを買った会社の同僚が「防護カバーを付けるということは、小さく薄く設計したエンジニアに対しての冒涜になる!」とか言ってカバーを付けなかったので、そんなものかなと真似してカバーを付けずにいたらこの有様。たしかに今まで使っていた携帯電話にカバーを付けたことはないし、Touch Diamondもカバーや液晶フィルムを付けずに使い倒してきたのでiPhoneもそうするというのは分からなくもない。
でもその考え方は間違っていた。今までの携帯電話やTouch Diamondは落としても割れない「携帯電話」としてちゃんと使えていたからこそ、ケアが不要だったのだ。(実際、今までに携帯電話もTouch Diamondも何度となく地面に落としている)。その点で言うとiPhoneは「携帯電話」ではない。携帯電話と同じような使い方(暑い日も寒い日も雨の日も風の日も毎日ポケットに入れて持ち歩くなど)をするための条件を満たしていない。たとえばプレイステーションシリーズが「コンピュータ」として優秀でも「おもちゃ」としては欠陥品であるように、iPhoneは「コンピュータ」として優秀でも「携帯電話」としては欠陥品と言える。
だから、防護カバーを付けないとiPhoneは完全なものにはならない。落とすなと言っても無理。2年間毎日使って、何度もポケットから出し入れして、1度も落とさない自信があるだろうか。もっとも、部屋でしか使わないとか、仏壇に飾っておいてあるだけとかいうなら別の話だが。というわけで、欠陥がある以上防護カバーで補強することはエンジニアに対しての冒涜にはならないだろう。
正規の修理にするか保証外の修理にするかまだちょっと迷っているが、これだけは言える。こいつを携帯電話だと思った私がバカだった。アップル教の洗礼を受けてアップル税を払い続ける覚悟がないなら、アップル製品を買わないことだ。7万円で新しい世界が体験できるならペイすると考えて私はiPhoneを買ったが、1回とか2回落として修理することを考えても果たしてペイするだろうか? 個人的には微妙だと思う。
iPhone「アイキャンフライ!」 私「待て!早まるなあああああ!」
2009年9月6日