カネについて書きたいことを3つほど。
需給の関係と市場原理主義
昨日知り合いと話していて、経済学の話になりました。テーマを平たく言うと「過去最高益とか言っている某投資銀行の稼ぎは不当なものではないのか?」。根拠は「利潤は付加価値を生み出すことによるもの」という経済学の前提の一つです。(正確には付加価値は利潤以外も生み出す)
まあ、落ち着いて考えてみると「価格は需要と供給によって決定される」し、付加価値の元々の意味は生産品と原材料の差額なので、生産コスト云々は後付けの解釈です。(価値の源泉は労働だとしても、労働したから利潤が生まれるとは誰も言ってない)なので、某投資銀行の稼ぎは「結果的に儲けているので、それだけの付加価値を生み出したと解釈すべき」というのが結論になります。
うーん。理論では納得できても、いまいちぴんと来ません。もしかしたら心の奥底に「あいつらウハウハだけど、そんな能力のあるやつらとは思えん」というねたみにも近いエゴイズムがあるからでしょうか。
まあ、実際そうなんですけど。
付加価値とか考え始めるから深みにはまるわけで、たとえば派遣社員で年収200万のAさんとウハウハ業界で年収2億円のBさんを比べて、100倍働いたAさんがBさんと同じになれる理屈はない。会社の業績が悪くて今月から給料が一律1割カットされたCさんがいたとして、別に今月からCさんの労働価値が下がったわけじゃない。結局は需給の関係であって、労働価値とかそのへんは後付けのものでしかないのです。要は、おいしいポジションに行ったもん勝ちです。
これを良いこととみるか、悪いこととみるか。
良くも悪くもカネはカネ
社会人になって一番よく勉強になったのが「カネ」がらみのことです。カネで容易に人は動く。カネの存在は表に出ない。カネは隠すもの。カネは隠しても臭うもの。カネの接し方には礼儀がある。などなど。サラリーマンになってから一番驚いたのが「放っておくと税金がどんどん取られていく」こと。そして一番恐怖を感じたのが「毎月カネが黙ってても入ってくる」ことです。
経済専攻を卒業してから経済について知るという私は皮肉なものですね。経済学は理論だけを考えると痛い目を見ます。基礎は基礎。現実は現実。使い分ければ怖くない。実務的な経済学者の書いた経済学の本はびっくりするほど面白いです。経済統計の意味とか、円高の影響とか、あれほど授業でうんうん唸っていたものが頭にすっと入る。
社会に出るとは、カネを知ることと見つけたり。
カネが人を考えさせる
ロリコンファルで面白い文章が引用されていました。
(人間を描く文芸において)お金の問題をちゃんと描くというのは非常に大事なことです。
特に近代小説においては一番大事といってもいいくらいで、逆に云えば、お金の扱いに
関してゆるい、そこから逃げているというのが日本文学の大きな一つの弱点なのでしょうね。例えば西欧の近代小説をみていったとき、「ドン・キホーテ」というのが近代小説の
最初だとされていますが、これの一番大きな縦軸というのがお金の世界です。当時大航海時代になってスペインに新大陸からお金が一杯入ってくる。一種の
バブルのような状態になって、それまで騎士道だとかキリスト教の厳しい信仰で
固まっていたスペイン社会が、お金の力によって古い美徳のようなものがどんどん
汚されていく。全てがお金でやりとりされている世界の中で、お金の価値を信じない、
勇気とか寛容さとかを信じているドン・キホーテが狂気の人として現れる。
やっぱりこれはお金の話ですね。それ以降も近代小説の歴史というのは、お金に関する小説の歴史で、
もちろん一番分かりやすいのはバルザックだったり、あるいは
ディケンズもそうですね。お金というものがどういう風に人間性を変えていくのか。
逆に云えば、金銭というのは人間の善意や悪意を超えた力を及ぼす。
善意ある人が善意で使ったお金がむしろ悪をなしたり、非常に悪辣で残忍な
人間が貪欲から発した行為をすることによって、全てが上手くいったりする。
そういう人智を超えた魔力を持ったお金ですね。お金自体が独自の生命力を持つ。
バルザックは金銭の神秘的・魔術的力について書くのが本当にうまいですけれども。これはドストエフスキーとかまでずっとそうです。「罪と罰」も抽象的に考えれば、
生命の尊厳とか倫理とかロシアの大地とかモチーフは色々あるわけですけれども、
やっぱりお金ですね。質屋の婆さんからお金をとってくる。或いはもう一つ
非常に象徴的なのはソーニャ、聖なる娼婦ですね。彼女は娼婦としてお金で
売り買いされる存在で、ソーニャが一番最初に売春婦になる鑑札をもらってきて、
最初の客をとって帰ってきて、テーブルの上に稼いだお金を並べると、彼女の
母親が娘の足に一晩中口づけをしているという話がでてきますが、やっぱり
これもお金の話ですね。ドストエフスキーの世界は「賭博者」もそうですけど、
お金の怖さ、逆らえない恐ろしさをずっと描いている。或いはフローベールの「ボヴァリー夫人」もそうですね。
(福田和也「贅沢な読書」)
人間の原動力はカネ。人間の弱さをつくのもカネ。ライブドア事件で表舞台から消えたホリエモンは、カネについて考えさせてくれる非常に良い存在でした。私は今でも尊敬しています。
ホリエモンについては機会があればまた書きます。
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