「情報の扱われ方に目をこらす」ということ

2004年12月20日

偏りのない情報を得るためにはどうすればいいでしょうか。

・多くの情報元(ソース)から取り入れる
・信用できる情報元を見極める
この2点がすぐに思いつくことと思いますが、これらは相反する性質を持っています。
「編集長の情報術」(西山照彦・酒井富士子/生活情報センター)という本があります。週刊文春や週刊ポスト、週刊ダイヤモンドといった国内の数ある雑誌の編集長に、どうやって情報を得て管理し、出力しているかをインタビューしたものです。彼らは立場上、もっとも多くの情報に身をさらして世の動向をかぎ取らなければいけません。彼らは最も洗練された情報管理者の一部として参考になります。
彼らの新聞の読み方に注目すると、おもしろいことが分かります。何に主眼をおいているかでいくつかパターンがあります。
1.主要紙すべてに目を通す
…朝日、毎日、読売、日経、産経の5大紙にざっと目を通して論調と切り口の違いを確認する(ヨミウリWeekly)、さらにスポーツ紙も目を通す(週刊ポスト)
2.日経新聞を熟読する
…スポーツ紙と組み合わせる(SPA)、朝日や読売と組み合わせる(プレジデント)、日経3紙とも読む(日経ウーマン、日経ビジネス)
3.朝日と産経を比べる
…(ダカーポ)、スポーツ紙とも比べる(文春)
4.その他
…毎日と朝日(サンデー毎日)、日経と朝日(ダイヤモンド)
なんとなく朝日と日経が大人気のような気がしますけども。
さて、私が最も興味深いと思ったのは3のパターンです。朝日と産経という異様な組み合わせですがきちんと理由があります。2紙とも論調が両極端なために、2紙に目を通しておけば世の中の意見がだいたいその2つの中に収まっていると推測できる、ということらしいです。世の中を偏りを持たずに幅広くとらえるためには、こういった「情報の扱われ方に目をこらす」という作業も同時に必要なのではないかと思います。
振り返ってみると、私たちは偏りのない情報を得るような努力をしているでしょうか。未だに世の中の動向を知るには一つの新聞で事足りると思ってはいないでしょうか。そんなことはありません。新聞はたかが新聞であって、ソースの一つでしかないのですから。
情報はただそこにあるだけでは価値がありません。その情報が実際に人を動かす力を持ってこそ価値が生まれるのです。そこにある情報を人間が読み取るだけではその情報は生きません。そこにある情報を元に人間が思考することでようやく情報は生きるのです。情報を単に読み取ることは子供でもできますが、同じ情報を違う側面からとらえてさらに深く読み取るには人格の発達が必要です。一つの事象を複数の視点で考えることは誰にでもできそうでいて意外とできなかったりするのです。
どうも一般には、新聞という存在に対して人々は過大評価しすぎなのではないかと思います。親は子供に「新聞を読みなさい」と言う。上司は部下に「新聞を読んでないのか」と叱る。それでは新聞さえ読んでいればいいのか?と聞きたいところですが、おそらく多くの人は言うまでもなく「はい」と答えるでしょう。確かに、情報を収集するにあたって新聞という存在は非常に有用ですが、新聞にはただの「事実」だけではなくジャーナリズムなどといった類のものも強く含まれています。それらをそのまま取り込みそれを元に自分の価値判断をするということに、少なくとも私は危険を感じます。
新聞に限らずメディアには少なからず主観が含まれています。正しく価値判断をするために偏りのない情報収集するには、それらの情報をできるだけ客観にすることが必要だと思います。それには同じ情報のメディアによる扱われ方の違いを読み取ることが重要で、「新聞を1紙とって、それだけ読んでればいい」という考えはあまりにも甘すぎです。そういった考えが一般的になっていることはおかしいと思います。テレビを見ている人が一局の報道のみを信用するということに例えればあまりにも馬鹿げていることが分かるでしょう。テレビでさえ各局の報道の偏りが目立つのに、新聞は1紙だけを信用して良い、という理屈にはなりません。何より新聞社間やテレビ局間の差以上に他媒体(雑誌や書籍、インターネットなど)との差もあります。新聞1紙だけを取ってればいいという時代は終わったのです。
ということで今うちでとっている朝日新聞をやめてしまうか、日経に切り替えるか、朝日と産経両方とるか悩み中。というか3つめの選択肢はコストかかりすぎ。どっちにしろ契約期間終了は2月末なんですが。