Windows 8 の画面にストレスを感じる理由

2012年9月14日

Windows 8 の Release Preview版とRTM版を試してみていろいろとストレスを感じたので、その理由が何かについて分析してみた。
結論からいうと

  • UIを一新するならアフォーダンスの考慮が必要だが、それがなされていない
  • UIを一新してユーザの過去の学習資産を切り捨てることに見合う効果がない
  • 新UIは全体的な統一感がないためストレスを感じる

という理由により「クソである」ということが言える。
ちなみに私はWindows 8に対してかなり好意的にとらえている。それはただ2点「重くない」と「ダサいくらいにデザインがシンプル」というところにある。特にデスクトップ環境における、立体感を廃した完全フラットな画面デザインはは私の好みにがっちりフィットし、Windows Phoneとともに近年のOSのなかで一番気に入ったと言っていい。
ただし(日本語で言うところの表面的な)デザインは綺麗でも(英語で言うところの構造的な)デザインは最悪だ。今回私がストレスを大きく感じた部分はUI設計が稚拙すぎるところにある。デザイン用語で言うところのアフォーダンスが足りない。つまり、UIが何もかもを隠しすぎてユーザがどのような操作ができるかのヒントが読み取れなさすぎるのだ。これは初めて触る者にとっては地獄以外の何物でもない。

アフォーダンスに乏しいUIがこれまで文句を言われなかった理由

そもそもの話、Windows 8に限らず一般的に新しいUIというものはユーザに学習を強いるものだ。私たちが普段ふつうに使っている(or使っていた)Windows 7やWindowsXPやMac OSのUIだって、それを初めて見るおじいちゃんおばあちゃんにしてみれば意味不明なUIだ。なのに今までWindowsのUIについて問題が表面化しなかったのは多くの人が学習してきた過去のUIをある程度受け継いできたからだ。スタートメニューでアプリ起動、タスクバーで切り替え、×マークでアプリ終了。歴代OSはそうした基本的な動きを継承しつつ無理のない範囲で変えてきた。
だいたい、Windows 8どころか今までのどのWindowsもUIのアフォーダンスというものはあまり考えられていない。(この点についてはMac OSもGNOMEもUnityもAndroidも同じで、褒められるのはWP7とiOSくらいのものだ)。しかし何とか忍びうる程度の操作性と(教えられれば、ああそういうことねと分かる程度)、過去の学習資産(スタートメニューは形は変わっても役割は変わらなかった)があって多くの人は静かに使うことができていた。
もしMicrosoftがこれを一新する気なら、ユーザがこれまで築き上げてきた過去の学習資産を切り捨てることになるので、そのマイナスに見合う効果と新UIへの馴染みやすさを慎重に検討しなければならなかったはずだ。
しかしMetroを全面に押し出した新UIはその「忍びうる程度の操作性」と「過去の学習資産」を両方とも失ってしまった。「ここはこうするんだよ」と教えられても「ええ?なんでそうなるの?」となる部分が多数あるし、過去から継承してきたスタートメニュー、タスクバー、終了ボタンといった基本的なものが表示されないことで今までの「とりあえず困ったらこれをすればいい」という信頼性が壊れてしまった。この2つの点は慣れていないから損なわれているのではなく、たとえこの先慣れたとしても不可解なUI設計への疑念は晴れることはないし、トラブル時のUI設計の信頼性も回復することはないだろう。

「困った時はとりあえずこの操作」の統一された信頼感

「とりあえず困ったらこれをすればいい」が成り立たない主な理由は「操作の統一感がない」ということだ。これはデスクトップ環境とMetro環境を並立させていることによるものだ。今まではとりあえずどのような状態であってもスタートボタンが表示されていたし、Windowsキーを押してスタートメニューを呼び出すことができた。×ボタンでアプリを終了させることができた。その統一ルールが頭に入っていれば困ったときでもある程度復帰方法を類推することができた。でも今回はルールが混在している。だから条件によっては復帰方法を類推することができない。これは例えるなら建物の部屋によって非常口が様々な方法で隠されているようなもので、もしもの時の逃げ方が分からないのだ。
この並立環境の失敗はデスクトップPC向けとタブレット向けの両方に無理に対応しようとしたからだろう。それは分かる。ならば不要な部分は使わないようにすれば使えるだろうか? デスクトップ用途ではタブレット向けのMetro環境を使わなければ従来通りの使いやすさだろうか? 答えはNOだ。並立環境はそれぞれデスクトップの操作として切り取ってもタブレットの操作として切り取ってもやはり中途半端で、どちらの環境でもキーボード/ジェスチャーどちらかでも操作が完結できない(できたとしても難易度が高い)。そして従来機能がそのままのUIで残っていたり、場所によってはところどころ新しくなっていたりと中途半端なのだ。
なぜここはキーボードショートカットが効かないの?
なぜこの画面ではEscで戻れてこの画面では戻れないの?
なぜこの画面ではWindowsキーで戻れないの?
なぜスタートメニュー1箇所にあった機能がこことこことここに散らばっているの?
なぜこれらの機能の中でこれだけ新UIになっているの?
なぜ似たような機能なのにこっちとこっちで分かれているの?
なぜこのような重要な機能が右クリックしないと出てこないの?
なぜこの画面ではスクロールすると左右に移動するの?
なぜここで出てくるポップアップは永遠にクリックできないの?
一目見てその理由がさっぱり分からない。
「重要な機能はここに配置し、重要でない機能はここに配置しています」
「グローバルなナビゲーションはここに常時表示されます」
「こうすればいつでもアプリケーションを終了して初期状態になります」
「このメニューに配置された機能はこのポリシーで選ばれています」
「このメニューとこのメニューはこうした理由で1箇所に統合できませんでした」
「ユーザがこの考え方を共有すれば戸惑わないので、そのように説明しています」
こうした腑に落ちるような解説がほしいのだが、今のところ出てくる説明には例外事項が多くて理解ができない。
いろいろ盛り込むつもりならLinuxのデスクトップ環境を切り替えるように、はじめから入口を分けて世界観を完結させてほしかった。いったいどのような人がMetro環境とデスクトップ環境との間を行き来しながら使いたいと思うのだろう? いったいどのような人がキーボード単体でもマウス単体でもジェスチャー単体でも操作できないUIを望むのだろう?

Windows 8 は常用できない

蛇足だが、Windows 8を個人的に導入することについて私はこのように考えている。

  • デスクトップで使っているWindows 7をこれで置き換える気はない。常用するつもりもない
  • 常用するのであればタブレット(たとえばSurface)と同時に購入して使うことが前提
  • デスクトップPC上の仮想マシンで実験用に遊ぶには良い

きっとWindows 9が出る頃になればタブレットとデスクトップPCが実際に企業ユースで使われてフィードバックが十分蓄積されそうなので、そのときになればもっとうまいUIの棲み分け方法が見つかるのかも知れない。
とりあえず、Windows 8をWindows 7の置き換えに使うのはナシだ。

One thought on “Windows 8 の画面にストレスを感じる理由”

  1. >「とりあえず困ったらこれをすればいい」
    いや、これはあるでしょう。
    予備知識なしで店頭で初めてWindows8を触ったとき、メトロアプリの終了方法が分からずに困ってWindowsキーを押したらスタート画面に戻りました。
    それで「あ、これスタートメニューなのね」と理解しました。
    これが分かるとWindows7のより使いやすくなったものとして捉えられます。
    片っ端からメトロアプリを消して常用するアプリをデスクトップからスタート画面に移動。
    これだけでデスクトップもすっきり片づき、アプリの呼び出しがやりやすくなります。

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