不快な画像がもたらす快適な世界

2015年7月18日

人工知能が画像を加工するというサービスがGoogleから公開されて、Twitterなどで話題になっている。画像を見るとよく分かるのだけど、ものすごくキモチワルイ。
例えるなら「蓮コラ」とも言えるような有機的で混沌としたブツブツ。見ているだけで鳥肌が立ってくる。個人差があるとは思うけど、私はこういうのはまったく受け付けない。
蓮コラやグロ画像といった不快な画像はかつて2chが栄えていた時代から存在していて、人一倍そういう不快感に敏感な私は、何度も痛い目に合いながらそういう画像を見ないようにするスキルを身につけてきた。
例えばそういう画像を集めたサイトのブラックリストを作ったり、ドメインやファイル名から推測したり、グロ確認用ツールを使って小さなサムネイルを表示させてみたり……。2chの栄えていた時代はそういう悪意を持って罠を張る人がわりと居て、そういう自衛はありふれたものだった。
ブログの時代になると、無編集の掲示板の存在感が小さくなってうまくフィルタリングされやすくなって、そういう悪意の罠にあまり触れずに済むようになった。それに加えて、例えば虫の画像や衝撃映像などを紹介するときにあらかじめ「閲覧注意」などと注釈を入れるマナー(?)も生まれた。
不快な画像に敏感な私は、こうしてうまくフィルタリングが機能した世界でしばらく平穏な暮らしを送ることができた。だけど人工知能Deep Dreamがそれをぶち壊した。
はじめにTwitterで「その画像」が流れてきた時は、かつてグロ画像を見た時のように全身鳥肌が立ち、鼓動は高まり、夏だというのに寒気が止まらなかった。そして、まあTwitterにはこういう画像も流れるよねと犬に噛まれたぐらいに思ってやり過ごした。
ところがその日を境にDeep Dreamはどんどんバズり、TwitterやFacebookでそういった画像がたくさん流れてくるようになった。「閲覧注意」の注釈もなしに。(注釈を入れたってサムネイルは表示されてしまうけど)
それから1週間ほど、SNSから距離を置いている。
SNSを避けることでしかこの問題は解決しなかった。
おそらく多くの人は、Deep Dreamの画像が奇抜だから善意で紹介しているのだろう。でも私にとってはそれは刃物を向けられるようなもので、その間にはお互い理解できない壁があるみたいだ。
私がこの壁を今まで意識せずに来られたのは、自衛のフィルタリングやWebの嗜好の住み分けが機能していたからだと思う。タイトルに「閲覧注意」と付ける良心的な人びとによって事故は防げたし、どの検索語が危険か、どのジャンルが事故になりやすいかを推測できて、近寄らずに済ませられた。
TwitterやFacebookではこうした住み分けが機能しにくい。パーソナリティに紐付いたアカウントは、脈絡もなく警告もなく、自分の気に入った画像や映像を発信しうる。面白ければ何だってRTする人はたくさんいる。(私もその一人だ)
ブログのエントリならタイトルから推測したり、警告を読み取ったり、サムネイルを加工することができる。それに不快な画像や映像が見たくないなら、そこを訪れなければよい。一方でTwitterはタイトルがそのまま目に飛び込み、サムネイルも目に飛び込んでくる。FacebookやLINEもそうだ。
さらに脈絡の縛りが(ブログよりは)薄いので、今まで楽しく見ていたアカウントがある日突然キモチワルイ画像をTweetしたりRTしたりする。そうした危険を持った情報が(ブログよりは)たくさんの頻度で飛び込んでくる。
困ったことに、それを拒絶するということが難しい。Twitterほど極端ではないが、FacebookやLINEもそうした傾向はある。そしてFacebookやLINEの方が知人関係に関わるため、より拒絶しにくい。
アカウントをミュートするという手段があるが、アカウント単位という点が厄介だ。普段は何でもないコミュニケーションを取ったり、有益な情報を教えてくれたりしている人に、一度不快な画像を流しただけでミュートすることができるだろうか。
そしてミュートせずに我慢したとして、その人がまた画像を流すのではないだろうかとビクビクしながら暮らす、そんな状態を強いられるのは妥当なことだろうか。あるいは我慢せず、RTした人全員を丸ごとミュートするべきだろうか。
そういうことを考えた結果、SNSそのものから一旦距離を置いている。Deep Dreamの流行が収まるまで様子を見ようというワケだが、今日試しにタイムラインを見ると10分と経たずにひどい目に合ったので、まだ先の話になるかも知れない。
Twitterの設定では「ツイートする画像/動画を不適切な内容を含むものとして設定する」というものがあるが、発信者の主観と配慮に任されているためあまり強力ではない。そして「私にとっての不快」が皆にとって不快ではないのだから期待できない。
「動画を自動再生しない」という設定もあるが、画像に対しては無力だ。たとえ画像を一律に表示しないことができたとしても、それは意味のあることなのだろうか。
昔ポケモンショックという事件があって、映像効果がてんかんの発作を誘発することが話題になった。これとよく似ていて、大勢にとって問題の無さそうな画像や映像が、ある人にとっては大問題になりうる。そしてポケモンほどの事件がなければ、それは一般には知られない。
つい数日前にもTwitterでこのような事件が起きている。
Twitter、てんかんの発作を起こしやすいとの苦情を受けて動画を削除
そういう意味で現在のSNSは、誰もが不快に感じるレベルに達しないような画像や映像には無力だ。これを解決するものがあるとすれば、画像への自動タグ付けと、パーソナライズされたフィルタリング設定だろう。
近い将来、今よりもっと賢くなった人工知能によって、私の安息地が実現するのかも知れない。
人工知能Deep Dreamに不快にさせられた私にとっては皮肉なことだけど。