草間弥生を表舞台に出してしまった罪

2009年7月25日

草間弥生が普通に世間に受け入れられているのを見ておどろいたのだった。
鮮やかなピンクやブルーの水玉模様。それで作品のすべてを覆い尽くしてしまう芸術家、草間弥生はかなりクセのある存在だ。一時インターネットで爆発的に流行した「蓮コラ」のような感染力のある作風で見るものすべてを呑みこんでしまう。水玉。水玉。そして水玉。作品だけでなくて、本人も一度見たら忘れられないぐらいのインパクトがある。派手に染めた髪の毛と水玉模様の衣装と、そして何より、岡本太郎のようにこちらを凝視してくる目線。まさに芸術家は芸人であって、彼ら自身も芸術のうちで芸のうちだと分からせてくれるお手本のような存在だ。
Kusama Yayoi
そんな草間弥生がデザインした携帯電話が出ると聞いたときはコーヒーを吹き上げてしまった。たとえではなく、リアルの話で。そして実物を見た。想像通りだ。水玉模様だ。まるで悪夢だ。
見れば見るほど気分が悪くなる痛快なデザインでたいへんよろしい。不健康そうなツブツブとイボイボは、指先で携帯電話に触れるのを想像しただけで寒気がしてくる。うん、とても味わい深い。色彩も鮮やかで、発売する携帯電話会社のカラーによく似合っている。こうして他人事として見ると、なかなかに面白い話題として楽しめる。しかし一方で、ひとつの言葉が頭をよぎる。
「誰か止める人はいなかったのか」
草間弥生を、ではなく、携帯電話会社の企画担当者のことだ。大きなお世話だが、私には気になって気になって仕方がない。売れるかといえば、売れないだろう。となると、パフォーマンスの一環だろうか。しかし、この携帯電話によってブランドイメージが上がるかと言うと、とてもそうは思えない。「気持ち悪いデザインの携帯電話を出したふざけた会社」というイメージがついて終わるだろう。株主総会で「いったい何を考えているんだ」と質問が飛ぶだろう。きっと飛ぶに違いない。私が株主だったら言う。
前衛芸術は万人受けするものではない。裏返せば、好きな人だけが好きということだけれど、好きな人でさえも四六時中接していられるようなものではない。前衛芸術は見ているだけで体力を使う。感じたり、触れたりしているだけで体力を搾り取られてしまうものなのだ。万人受けしないということは、それだけ人からエネルギーを吸い取るだけの力を持っているということだ。そんなものを四六時中身につけておくものと組み合わせてしまう。その発想は、すごい。とても私には真似できない。そして、そういう人とはできれば一生関わりたくない。
それはさておき、これだけクセのある作品をメディアに登場させて、さも当たり前のように企業プロモーションに取り込んでしまっているのが不思議で仕方がない。草間弥生って、表舞台に登場させてはいけない人なんじゃないの。だって、テレビでいきなりツブツブが映ったらびっくりするだろう。泣き出す子供もいると思う。たまに発作的に見たくなるぐらい軽度な草間弥生フリークの私でさえ、見る前には心の準備が必要だったりするのだから。
草間弥生が野放しにされているうちは、おちおち携帯カタログや雑誌、テレビも見られやしない。そういって私は、はじめからテレビを見る気がないのにテレビの電源をつけない理由をさがしている。草間弥生に栄光あれ。
http://iida.jp/products/art-editions/yayoi-kusama/dots-obsession/
(※心臓の弱い方が一日二回以上見る場合は医師のアドバイスを受けて下さい)

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