森鴎外「舞姫」の続編

2006年1月9日

年末年始は小学校中学校高校の集まりなどがありました。それで文集でも読み返してみようかと高校3年生のクラスの文集を読んでいたら、私の書いた国語の課題についていくつか褒められてました。
たしか森鴎外の「舞姫」続編を作るように現代文の授業で課題を出され、出来が良かったとかで賞品の図書券をもらった気がします。原稿を探してみたら清書前の推敲データを発見。読み返したらぎりぎり恥ずかしくない程度だったので蔵出し企画として公開します。

冒頭16行(某エロゲの冒頭部分のパクリ)と最後1行(某芥川作品の最後部分のパクリ)に私のパクリぐせが垣間見えるかと思います。ほかの部分は残念ながらパクリじゃありませんが。
いろいろとツッコミどころは多いですが特にコメントしません。
森鴎外「舞姫」の原文はこちら

続・舞姫「ベルリン駅前にて」(原文ママ)

続・舞姫「ベルリン駅前にて」1905
 雪が降っていた。
 重く曇った空から、真っ白な雪がゆらゆらと舞い降りていた。
 冷たく澄んだ空気に、湿った木のベンチ。
「………」
 私はベンチに深く沈めた体を起こして、もう一度居住まいを正した。
 屋根の上が雪で覆われた駅の出入口は、今もまばらに人を吐き出している。
 白いため息をつきながら、駅前の広場に設置された街灯を見ると、時刻は8時。
 もう夜も遅く、暗く分厚い雲に覆われてその向こうの空は見えない。
「ハァ…」
 再び椅子にもたれかかるように空を見上げて、小さくため息をつく。
 視界が一瞬白いもやに覆われて、そしてすぐに北風に流されていく。
 体を突き刺すような冬の風。
 そして、絶えることなく降り続ける雪。
 心なしか、空を覆う白い粒の密度が濃くなったような気がする。
 もう一度ため息混じりに見上げた空。
 その視界を、ゆっくりと何かが遮る。
 私が今日このベルリン駅に降り立ってから、もう半日が経とうとしている。
 17年ぶりのベルリン。その間に、街の風景とは違って私自身も大きく変わってしまった。
 最後に私が見たベルリンの風景は覚えていない。その時の私にはあのエリスのことしか頭になかったからである。
 エリス。会えるものなら今すぐにでも会いたい。会ってあの時のことを心から詫びたい。今もまだ私から17年前の後悔の気持ちは消えていないのであるから。
 天方伯爵と共にベルリンを発ってから、私は長い間伯爵の元で働いた。
 日本でも通訳の仕事をする私は大変厚遇され、伯爵の私への信用も厚かった。
 ところが1年前、天方伯爵の汚職が発覚し、責任をとらざるを得なかった私は間もなく職を解かれた。
 免職はこれで2回目になるが、今度ばかりは身近に助けてくれる友人もおらず、相沢も遠い異国にいる身なれば、頼るべき親戚もいなかった私はまったくの無職になってしまったのである。まもなく伯爵は亡くなった。私には今はもう頼れる人がいない。
 収入の当てもなく、貯金を食いつぶすだけの毎日がしばらく続いた。日本で職に就く望みを絶った私はドイツで暮らそうと、このベルリンまで来たのである。もしもエリスがいるのなら私は何もなくても生きていけるかもしれない、と、そう思ったのである。
 ところが、私の思ったようには事は運ばなかった。
 もちろんエリスがまだパラノイアを患っているだろうということぐらいは予想はしていた。健康になって家庭を持っているかもしれないということも考えていた。しかし、そうではなかった。
 今も忘れてはいないクロスター街近くのエリスの住所。今日の朝駅に着いた私はまっすぐにそこへ向かった。そこへ通じる通りは全く変わっていなかった。しかし、最後の角を曲がってすぐ、私は驚いた。エリスの家がなかったのである。
 代わりにそこには鉄道が走っていた。周辺一帯の建物がなくなっていて、その跡には幾本もの線路が横たわっていたのである。私は呆然とするばかりであった。エリスどころか、当時を知る近所の顔見知りたちもそこにはもういないのである。
 私はしばらくそのままで、ただ一帯の跡地を眺めるばかりであった。
 と、そこへ一人の女性が歩いてきた。初老の女性だった。少しばかりぼろの服に小さな持ち物。浮浪暮らしのようだった。私はとっさに声をかけた。
「すみません、ここにあった建物は…」
「ああ。2年ほど前に取り壊されましたよ」
 女性は無表情のまま静かに答えた。
「そうですか…」
 女性は私の顔をまじまじと見て言った。「あなた、日本人?」
 私はびっくりした。
「ええ。太田豊太郎と申します」
「豊太郎…? 豊…あの豊太郎さん?」
 彼女は少し表情を変えた。私の名前を知っているようだ。
「ご存じですか。もしかしてあの建物の住人の方ですか?」
 彼女は静かなまま言った。「エリスは、もうここにはいませんよ」
 それは私の言おうとしていることを見透かしているようだった。
「じゃあどこに…?」
 彼女は遮るように言った。
「ここの家が取り壊されて、住人は皆ここを去りましたよ。このご時世では市内でほかに住むところもなくて、誰もお互いの行方なんて分かりませんよ。あんなに親しい間柄だったのに…」
「そうですか…」
「あなたも、もう帰った方がいいでしょう。ここはもう昔とは別の場所です」
 そう言って、女性は去っていった。
 たしかに、ここは別の場所になっていた。しかし、エリスはおそらくベルリンにいるはずだと思い、他の場所を探してみることにした。
 市内のあちこちに言ってみるも、何一つ手がかりは得られなかった。市役所、ヴィクトリア座、病院、そしてとうとう日が暮れてしまい、今為すすべもなくこうしてベルリン駅の前に座っているのだった。
 駅前の大広場を歩く人々も少なくなり、寂しさがいっそう辺りの寒さを引き立てていた。時折通る馬車や憲兵の他には人気が全くない。街灯の青がかった光が降り続ける雪を鮮やかに照らし続けていた。
 青い光を見て思うことがあった。エリスに会ってからしばらくして、エリスに贈り物をしたことがあったことだ。青く光る耳飾り。エリスは大変喜んで、いつでもずっとつけていたことを思い出す。今でもつけていてくれるだろうか。
 物思いに耽っていると、誰かが近づいてくるのに気がついた。ベンチに座ったまま顔を上げると、遠くから、朝会った初老の女性がこちらに向かって歩いてくるところだった。
 私が挨拶をすると、女性は表情も変えずにこちらをじっと見た。感情を忘れたにごった目だった。
「どうしたんですか?こんな遅くに」
「私の住まいはここです」やはり浮浪暮らしのようだった。荷物をよく見ると、どうやら物売りをして生計を 立てているらしい。老いた身にとってはつらいものだろう。歳は昔私がここにいた頃のエリスの母親ぐらいのようで、ぼさぼさの髪と薄汚い身なりだけでなく表情が変わらない顔にまで彼女の生活の苦労が見えた。苦労は人の外見をすっかり変えてしまうことがあるが、この女性ももしかするともっと若いかもしれなかった。
「お聞きしたいことがあるんですが…」私は言った。
「…はい」女性はしばらく考えた後、ちいさく返事をして私の座っているベンチに腰掛けた。
「エリスはその後どうなったんです?」
「私が知る限りでは、エリスの精神の病気はかなり治っていました」
 静かなままの口調で彼女は言った。
「では、子供は…」
「その年の流感にかかってすぐに死にました。それから間もなくお母さんも亡くなりました。人からお金を借りて生活していたエリスは、ある日借金を残したまま行方が分からなくなって、それっきりです」
 私は何も言えず、ただ黙ってそれを聞いていた。
「豊太郎さん…」
「はい…」
 彼女はうつむいたままはっきりと言った。
「エリスは、あなたを恨んではいませんでしたよ」
 しばらくの沈黙が続いた。
「ただ、自分を恨んでいました」
 思い言葉が私の肩に重くのしかかった。
「そのことを、十分に知っておいて下さい」
「…はい。分かりました」
 押さえきれない気持ちが出てきそうで、私はもう彼女を見ていられなかった。ただ座ったままうつむいて、ひたすら思いをこらえることで精一杯だった。
 彼女はベンチから立ち上がりゆっくりと去っていった。
「豊太郎さん」
 私は顔を上げることができなかった。
「もうエリスに会おうとは思わないで下さい。もしここにエリスがいても、あなたに会おうなんて思わないでしょうから」
 私は返事すらできなかったが、彼女はそれだけ言って去っていってしまった。
「エリス…、エリス…」
 ようやく自分を押さえることができた私は体の落ち着きを取り戻してから、ベンチから立ち上がった。外套にはうっすらと雪が積もっていた。
 積もった雪を手で払いながら、私はさっきまであの女性の座っていたところに何かが残されているのに気がついた。
 丁寧に折られたハンカチの上に、青い耳飾りが添えられていた。その耳飾りは間違いなく、私が以前エリスに贈ったあの青い耳飾りであった。
「エリス!」
 そのことに気がついた私は、急いでさっきの女性の後を追った。
 しかし、彼女がついさっき曲がったはずの角の向こうには、もう女性の姿はなかった。
「エリス…」
 手に握りしめたままの耳飾りに目を落とすと、街灯の青い光でよりいっそう青く、儚げに光っていた。
 何かが胸の中から込み上げてきて、私は崩れるようにその場に膝をついた。足下にはあとからあとから涙が落ちて止まらないのだった。
 翌日、早朝のベルリン駅に旅行鞄を一つだけ持った豊太郎の姿があったが、彼がどこへ行こうとしていたのかは今となっては謎である。
 豊太郎の行方は、誰も知らない。

One thought on “森鴎外「舞姫」の続編”

  1. 初めまして管理人さま。続・舞姫「ベルリン駅前にて」読ませていただきました!
    『舞姫』はとても大好きな作品で高校時代に授業で知ってエリスに一目ぼれ(?)して、ラストでは彼女の悲劇に涙して、彼女を捨てた豊太郎と彼女を狂気に追いやった相澤を激しく憎んだことをよく覚えています。
    エリスと豊太郎が再会したら…と私もいろいろ考えましたが、できれば幸せな形で再会を…というわけにはいかないんでしょうかね…管理人さまの作品を読んでまたあの時の思いを思い出しました。ありがとうございます。
    ただ、あれから17年後ということならエリスはまだ36~37歳ぐらいだと思います。当時としてもまだ「初老」という年ではないはずです。可憐で美しい彼女に魅了された私としてはこの描写はちょっと…と感じました。すみません。
    豊太郎はきっと生涯、エリスにしてしまったことを悔やんでいた…彼女のことを最後まで彼なりに愛し続けていたのでしょうね…そんなことをこの作品を読みながら感じました。

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