ちと挑発的なタイトルで読む気にさせてみるテスト。
ホリエモンが消え去ったおかげで気兼ねなく「愛はお金で買える」と主張できるようになった。以前は「あーホリエモンも人の心は金で買えるって言ってるしね」で済まされてしまったので非常につまらなかった。心とか命とか愛とかを突き詰めて考えると別に「金に換算できない神聖なもの」とかにはならないことをここでちょっと書いておきたい。
マスターカードの「プライスレス」の意味
人の命とか、愛とか希望とか安心とかそういった形のないものは通常「お金では買えない」と形容される。たしかにそんなものは単体では売られてないし、「売ってください」と頼んでもそうそう売ってもらえるものでもない。
マスターカードのCMで「お金で変えない価値がある」というコピーがある。だからその価値を手に入れられるような買い物をしましょう、できればその時にマスターカード使ってくれると嬉しいです、てな論理展開だ。夫婦で一緒に過ごした25年間はプライスレス。だからこれからのためにも夫婦で楽しくリゾートに行きましょう、マスターカードで。ペットのいる生活はプライスレス。だからペットを飼うのに必要なものを揃えましょう、マスターカードで。うまいコピーだと思う。
私はこの「プライスレス」という言葉にものすごく大きな意味が込められていると思っている。お金で買える買えないという話はこの「プライスレス」の解釈にかかっているといってもいい。
goo辞書で「priceless」の意味を引くと、
━━ a. 非常に貴重な, 金で買えないほどの; 〔話〕 とても愉快な; 〔話〕 〔反語〕 ばかげた.
とある。3番目4番目の意味はまあ無視するとして、「非常に貴重な」と「金で買えないほどの」という説明は多くの人が納得すると思う。しかし、通常使われる「プライスレス」には、とうていこの説明では尽くせないような意味が隠れている。
「プライスレス」を説明するためにいちばん適切だと思う言葉は「値段の付けようがない」だ。
つまり値段をつけるのが難しいだけで値段自体はどこかにある、ということ。「金で買えないほど」ではない可能性もあるし、「非常に貴重」ではない可能性もある。たとえばいま目の前にしている愛とか命には実は値札が付いているが、誰もそこに書かれてある値段が読めない。だから便宜的に「値段の付けようがない(ほど尊いもの)」と解釈しているに過ぎない。結果的にどちらの解釈でも「買おうと思っても簡単に買えるものではない」という点では同じだが、天と地ほどの意味の違いがある。
言い換えるならプログラムでよく使われる「NULL」みたいなものだ。NULLは本来0ではないし、1以上の数値でもない。計算はできないし、真でも偽※でもない。無価値ではないし、空ですらない。しかし元々の定義では特定の数値なのだ。(NULLという存在の厄介さを知るならこちらを読むと良い)
(※便宜的に0や偽を返す場合もあるが、定義上は異なる)
「値段が分からない」だけで「金で買えない」わけではない
たとえば愛や命の価格を「未知の価格」と表すことにしよう。価格は未知なだけで、コスト計算することで求めることはできる。手に入れた後に価格が判明することもあるし、失った後に価格が判明することもある。永遠に価格が分からないこともある。未知の価格は未知だから一定とも不定ともつかないが、どこかに存在しうる。
別に愛がお金で買えるからといって目当ての女性(あるいは男性)のほっぺを札束で叩いていいという意味では決してない。希望がお金で買えると思ってやみくもに金を殖やせばいいというわけでもない。欲しいものを手に入れるためには、きちんとその手順を踏む必要がある。何を当たり前のことを言っているんだと思うかもしれないが、ほっぺを札束で叩くことの無意味さはそこにある。この無意味さは「お金は万能ではない」という事実を表しているに過ぎず、必ずしも「愛情はお金で買えない」ということを意味しない。
あなたが車を買いたいとする。当然ながら買うためにはお金さえ用意すればよいというわけではない。免許が必要だし書類も必要だし実印も駐車スペースも必要だ。ほどほどにお金が必要だし、ほどほどに労力も必要だ。お金さえ用意すればいいという話ではないのは誰でも分かるだろう。あなたがチャンピオンの血統書付きのヨークシャーテリアを飼いたいとする。しかしそれに80万円の値段がついていたとしても、80万円を用意すれば即座に手に入れられるわけではない。ブリーダーからの厳正な審査があるし、それだけの犬を飼えることを態度でも示さなければならない。やはりお金だけを用意すればいいという話ではない。
しかし、どちらも現実に価格は付いている。
車やヨークシャーテリアと同様、愛情を手に入れるためには一定のお金と一定の労力が必要だ。希望だってそうだし、安心も幸せも未来も人生も思い出も才能も地位も名誉もそうだ。お金さえあれば! ではないし、お金など無意味! でもない。ほっぺを札束で叩くことは、単にそれを意味しているに過ぎない。それなりの手順を踏めばお金で買えるし、手順を踏まなければお金をいくら積んでも買えない。
さて、未知の価格がついているものがどういうわけか「お金で買えないほど尊いもの」になってしまうのはなぜだろうか。それは「手に入れるためにいくらかかるかの見積もりが付かない」という点にある。安心を手に入れるための投資がX万円を超えればもう大丈夫、ではない。予備校にY万円をつぎこんだから大学合格、ではない。マスターカードの言う「夫婦で過ごした25年間」は売ろうと思っても売れないけれども確実にコストはかかっていて、もしそのコストが一定水準を下回っていたら夫婦で過ごした時間は途中で崩壊してしまったかもしれない。値段はたしかにそこに在るが、具体的にいくらなのかは分からないだけだ。運が良ければそれを得た時点や失った時点で計算ができる場合もあるが、全てそうではない。
金を持つことの意味、費やすことの意味
ではお金を持つことの意味とは何だろうか。人はなぜお金を求めるのだろうか。それはお金がないよりあった方がいいからだ。具体的には「選択肢」とか「可能性」とかいった言葉で表せる。
デートの時に手元に1000円しかなくて吉野家に行くしか選択肢がないことを考えてみて欲しい。これが10000円ならばここにしようかあそこにしようか考えたはずだ。あなたの子供に心臓移植手術が必要と言われて1億円の見積書を見せられた時のことを考えて欲しい。うなるほどの資産があれば迷うことなく子供の命のために手を打てるはずだ。選択肢は多ければ多いほどよい。選択肢が多いということの本質は「より可能性の高いルートを取れる」ということだからだ。
つまり「選択肢」を通じて「可能性」が関わってくる。さっきも言ったように安心を手に入れるための投資がX万円を超えればもう大丈夫、ではないし、予備校にY万円をつぎこんだから大学合格、ではない。しかし金額を上乗せすることは可能性を少しばかり高めることにつながる。必ずしも手に入れられるわけではないが、その確率はある程度までは上がっていく。偏差値と親の年収に相関があるのもそのためだ。
人によって手に入れたいものは違うし、そのために必要になるコストも違う。はじめからコストが分かっていればいいが現実にはそうではないので、皆はとにかくやみくもに金を集めたがる。そうして経済が回る。ここでふと思うのは、たしかに手に入れるためにお金は重要かもしれないが、あらゆる犠牲を払ってまで手に入れたがるようなシロモノではないのではないだろうか、ということだ。
マスターカードの「プライスレス」という言葉にはそんな深い意味が込められているように見える。自分の手に入れたいものがそんなにコストがかかるものなのかよく考えなさい、と。そして、手に入れたいものがそれだけのコストがかかるのなら、お金を使うことを惜しんではいけない、と。
まとめ
・コスト計算すれば愛とか命とかに値札を付けることはできる
・しかし単純に計算ができないので、便宜的に「お金で買えない」とされている
・愛とか命とかを手に入れるためにはそれなりにステップを踏む必要があり、お金はそこで用意を求められる一つに過ぎない
・つまり、お金は万能ではないし無能でもない
・お金があることの意味とは、手に入れるための「選択肢」と「可能性」を確保するところにある
・いわゆる「お金で買えないもの」を手に入れるためには、お金は「手段」の一つとしてきっちり分けて考えないといけない
おまけ
なんだか書き進めるうちにえらい文章になってしまった。まあ、よーに考えてカネ使えよーってことです。
追記 9/6 21:18
言い回しなど数カ所を修正。
One thought on “愛はお金で買えるし、命もお金で買える”