‘書評’ カテゴリーのアーカイブ

[書評]ニッポンの評判

ニッポンという国、あるいはニッポン文化が世界中でどのように評価されているのかを各国に暮らす人々の視点で寄せ集めた本。

登場するのは、オーストラリア、ロサンゼルス(US)、イタリア×2、ブラジル、マレーシア、トルコ、トンガ、オランダ、ドバイ(UAE)、ニュージーランド、フィンランド、イラン、ドイツ、ウィーン(オーストリア)、イギリス、フランス。全17章。

ニッポンの評判―世界17カ国最新レポート (新潮新書 276)
新潮社
売り上げランキング: 414
おすすめ度の平均: 4.0

5 まだまだ貴重な「現地からの意見」。見落とされがちな視点。
5 惚れ惚れ日本人
2 日本人特有のナルシシズム
4 自己満足な感はあるけど
5 ガンバレ!文化の国、ニッポン。

日本に対する評判は各国さまざまで、それぞれの地域のそれぞれの事情によって評価されている。全体を通して「だから日本は優れた国だ」とか「だから日本は特異な存在だ」とか「だから日本は世界の嫌われ者だ」とかいう統一感は一切無い。どの国の事情を見ても、2つとして日本へのイメージが同じな国はない。

たとえばブラジル。ブラジルは日本が大量に移民した国と言うことで、日本文化が国の中に溶け込んでいる。移民100周年がサンバカーニバルのテーマになるほどだ。

続いてオーストラリア。第二次世界大戦では唯一侵攻を受けた国として、また、白豪主義の風潮の流れで黄色人種の一つとして評価は低かったが、移民として流れ込んだ日本人の評判が良かったことで評価されるようになった。また、観光、貿易ともにお互いに存在感が大きい。

そしてトルコ。ヨーロッパに入ろうとして入りきれない国の事情に、欧米に続き先進国の仲間入りを果たした日本という存在は憧れの存在で見られる。また、明治時代に起きた「エルトゥールル号遭難事件」の美談のイメージが強く、「スシ、ゲイシャ」程度のイメージしかないながらも日本に対して世界でもっとも好意的な国でもある。

特異なのはロサンゼルス。アメリカの一部ながらもっとも日本に近い地域で、数多くの日本企業が進出している。ここでは日本は「国家」としてとらえられていない。日本の平凡なローカルニュースが話題になるほどで、「近所の一地方」あるいは「隣の文化都市」くらいのイメージだ。日本文化を日本文化としてくくらず、それぞれの要素をそれぞれにとらえている。

日本という存在の特異さはそのポジションにある。序盤から引用する。

 先進国の西洋人は、対等な友人として日本人を見ている。経済的に遅れている国から来る西洋人は、先進国の西洋人との微妙な距離感が似ていると思うのか、話しやすい存在だと見る人が少なくない。そして非西洋人は、出身国と日本の経済力のあいだにどんなに大きな差があろうとも、自分たちと同じ非西洋人の仲間だと思っている――。

日本という存在は、世界ではおおむね良いイメージを持たれている。それが多少のお世辞だったとしても喜ぶべきことで、誇るべきことだろう。しかし、その内容をよく見れば日本には弱みがあることに気がつく。経済と文化ばかりで、政治的な存在感がまるでない。これは現実として受け入れないといけない。

各国の事情に合わせた日本評価をみていると、日本という国家と、日本という文化と、日本という経済が綺麗に分けて考えられているのが分かる。フィンランドでは第二次世界大戦中にナチスと同盟した国として現在でも靖国問題、歴史教科書問題は少なからず関心が向けられるが、それが文化的経済的な評価につながることがない。オランダでも旧植民地に侵攻した国として憎悪する人々も存在するが、本国自体が旧植民地に対して不当な扱いをしていたという考え方もされており、ドライに扱われている。ロサンゼルスでは情報過多のために日本全体に対する固定イメージがないし、ドイツで熱狂的に村上春樹やマンガ文化を支持する人たちは実はそれらが日本から来たものだということを知らなかったりする。

だから日本の政治的立ち位置や、経済大国であることや、エキゾチックな文化大国であることのみを挙げて「これだから日本は」と論じることは無意味だ。それぞれの国で日本のイメージを左右するのは二国間の外交で、二国間の経済交流で、二国間の文化交流でしかない。そして、国の境界が曖昧になってきた現在では、それさえも「話のネタ」ぐらいにしかならなくなってくる。ODAをすれば「病院を作った国」、王族の居る国では「TENNOの国」、文化感度の高い国では「MANGAの国」。そんな一つの要素だけで構成されるイメージはこれからどんどん薄れていくだろう。

とは言え、いま「弱み」である国家外交の中でも、ODAと皇室外交には大きな意味があることがよく分かった。納税者として、日本人が海外で旅をするとき、あるいは仕事をするときの「安心料」として投資をしておくのは悪くないと思う。

[書評]怖い絵

書評はじめました。
書評リレーに誰も続く人がいないので一人でやることにする。

怖い絵
怖い絵
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中野京子
朝日出版社
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おすすめ度の平均: 4.5

4 上品な一冊
3 著者ならではの絵画ガイド
5 もっと絵画を知りたいと思わせる一冊
5 目から鱗がぽろり。スリリングな知的興奮に満ちた名画鑑賞集
4 興味深くておもしろかった。

怖い絵2
怖い絵2
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中野京子
朝日出版社
売り上げランキング: 5597
おすすめ度の平均: 4.5

4 もう少し短くまとめてもらった方が
4 前作より読者を選びますが最高!
5 この第2巻も実にスリリング、とても面白かった!
5 第3弾に大期待
5 テレビでは描きづらい絵画の<事実>

ゴヤ、ムンク、ルーベンス、ピカソなどの名画を「怖い」という視点で集めた本。

その怖さといっても様々なものがある。
・スプラッタ的な怖さ
・心霊写真的な怖さ
・気持ち悪さ
・絵画を取り巻く経緯による怖さ
・絵画の中に籠められた隠れた意味による怖さ

ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」


(クリックすると拡大)

目を見開き狂気に満ちた表情をこちらに向けるサトゥルヌス。手に持った我が子はすでに頭部がなく、左手が今まさに食いちぎられそうになっている。見た者のだれもが戦慄する名画だ。

この絵はローマ神話の伝承が元になっている。

 サトゥルヌス(別名クロノス)とは、ギリシャ・ローマ神話における農耕神であり、また「時」をつかさどる神である。絵画では、大鎌を持つ老人の姿で描かれることが多い。その鋭い鎌で、草ばかりでなく、人間の大切な時間をも無慈悲に刈り取ってゆく、置いた巨人だ。
 そんな「時の翁」が、なぜ我が子を喰らうことになったかといえば――。
 世界の始まりのとき、大地の女神ガイアは息子の天空神ウラノスと交わって、巨神サトゥルヌスを産んだ。サトゥルヌスは長じて父を大鎌で去勢したあげく殺し、神々の上に君臨する。しかし父ウラノスの最期の言葉に――「おまえもまた自分の子供に殺されるだろう」――ずっと怯え続け、その予言から逃れるため、妹であり妻であるレアとの間にできた子どもたち五人を、次々自分の腹の中へおさめざるをえなかった(まさに全てを呑みこむ「時」のしわざそのもの)。

この絵は見た目の怖さだけにはとどまらない。ゴヤという芸術家の体験した地獄がこの絵と同時期に描かれた一連の作品に現れている。スペインの寒村に生まれたゴヤは18歳で首都マドリッドへ出た後にスターへの道をのし上がっていく。明るい風俗画で人気を博し、34歳でアカデミー会員、40歳で王付き画家になった。しかし46歳の時、原因不明の高熱で聴覚を失ってしまう。これに引き続き悲劇が始まる。隣国フランスで革命が起こり、ナポレオン軍の侵攻を受けたスペインは長い間混乱に陥ることになった。戦争ばかりではなく異端審問が復活し、弾圧の時代が幕を開けた。拷問や処刑などが当たり前のように繰り広げられ、ゴヤはそれらをじっと見つめ続けて作品にしていった。72歳のとき、ゴヤはマドリッド郊外の別荘「聾者の家」へ閉じこもる。4年後に彼がここから旅立っていった後には14点の絵が残された。キャンバスにではない。漆喰の壁に直接描かれていた。今では「黒い絵」と呼ばれる一連の作品はいずれも陰惨な題材が使われていた。

この後、82歳で死ぬまでの間に描いた絵はいずれも穏やかなものだった。彼自身が体験した地獄からのリハビリのためにこの絵は描かれたのかもしれないが、真相は分かっていない。

カレーニョ・デ・ミランダ「カルロス二世」


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絵の中にはとりたてて怖いところはない。しかし、奇妙な違和感がある。カルロス二世があまりにも不健康に見えるのだ。事実、カルロス二世は病気だった。「呪いを掛けられている」と言われるほどに。

スペイン・ハプスブルク家に待望の跡継ぎとして生まれたこの子どもは成長が異常なまでに遅かった。3つになってもまだ乳を飲み、立つことすらできず、知能も低く、見た目もひどかったという。父であるフェリペ4世はこの息子を人前に出すことを嫌がり、どうしても人前に出さなくてはならない時は穴の開いた布をすっぽりと顔に被せていたらしい。まるでスケキヨだ。そして呪いを解くために周囲には乳母のほかに大勢の医者、占星術師、祈祷師がいた。やがて彼は父の死に伴い、4歳でカルロス二世として即位した。摂政となった母親は政治に無関心で、実際には大臣たちが国の舵取りをすることとなった。

ここに描かれた姿は多少の美化がなされているとは言え、お世辞にも美しいとは言い難い。

 宮廷肖像画の宿命として、二、三割アップは目をつぶる範囲であろうが、どうやらこの絵はそれをはるかに超えたものだったらしい。
 とはいえ、少年王がハプスブルク家代々の特徴を受け継いでいることは、控えめながらも表現されている。父も祖父も曽祖父も高祖父も持っていた、突き出た下顎と分厚い下唇(マリー・アントワネットの受け口にも微かに継承されている)がそれだ。その上カルロス二世は細い弓なりの顔、長く垂れた鼻、全く噛み合わない歯(終始、よだれを流していたという)、ほとんど太陽光を浴びなかったせいで病的に青白い肌――たとえ唇に紅をさしても、幽鬼の如く暗がりにぼうっと白く浮かび上がるその姿に、言いしれぬ戦慄を覚えない者はいないだろう。髪だけが若々しい美しさに波打っている。

この「呪われた子ども」が生まれたのには理由がある。スペイン・ハプスブルク家は異常なほどに近親婚を重ねていたのだ。カルロス一世の退位後、息子のフェリペ二世(いとこ婚による)が跡を継いだ。フェリペ二世の跡継ぎ(フェリペ三世)は実妹の娘である姪との間にできた子供。しかもこの姪自体、いとこ婚によってできた娘だという。フェリペ三世はいとこの娘と結婚し、その息子フェリペ四世には世継ぎができなかった。焦ったフェリペ四世は実妹の娘と結婚し、生まれたのがこの絵に描かれたカルロス二世だ。

 初代カルロス一世+いとこ→二代目フェリペ二世+姪(いとこ婚した実妹の娘)→三代目フェリペ三世+いとこの娘→四代目フェリペ四世+姪(実妹の娘)と、今に生きる我々におぞけをふるわせる四連続である。五代目がどうなるかといえば、ふつうなら七代さかのぼると百三十人近くいるはずの先祖の数が、わずか三十二人。母の母、つまり祖母に当たる女性は、祖母であると同時に叔母でもあるという、きつい血縁のもつれに首を巻かれるはめになる。

 カレーニョ・デ・ミランダの隠蔽工作は、成功したとは言い難い。カルロス二世像は、血族結婚くり返しの果ての悲劇を自ずから語っている。王権神授説を無条件に信じる王族たちは、自分たちを神に選ばれた特別な人間とみなし、下々の者の血で穢されてはならないと、身内の狭いサークルだけで婚姻をくり返して、ついには自らの汚物の堆積で流れを止めたドブ川のように行き詰まってしまった。そのなれの果てがこれなのだ。

この後、スペイン・ハプスブルク家は彼の死をもって断絶する。その後、フランスのブルボン王家からフェリペ五世が呼び寄せられ、スペイン・ブルボン家が始まることとなった。この絵が描かれてから約25年後のことだ。

他にも夢に出てきそうなものがいくつも出てくる。

ルドン「キュクロプス」


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ベーコン「ベラスケスによる<教皇インノケンティウス十世像>習作」


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この本は企画の勝利だ。私は名画の楽しみ方について何も知らないが、こうして一つの切り口で集められると面白さが分かる。とっかかりの解説本としては気軽に楽しめて良いのではないだろうか。

[書評]ウチのシステムはなぜ使えない SEとユーザの失敗学

書評リレーやるよ。とりあえず言い出しっぺということで第1回。

ウチのシステムはなぜ使えない SEとユーザの失敗学
岡嶋 裕史
光文社
売り上げランキング: 17938
おすすめ度の平均: 3.0

3 建設的ではないですね
3 とりあえず読んでおけばいい的本
5 ユーザー対SE
5 エンジニアの人間性や悩みが分かる
1 SEを扱き下ろして満足でしょうか?

「ウチの会社の業務システムはなぜこんなに使えないの?」と嘆いている人のために、そのシステムがいったいどのような行程を経て作られるか、あるいはシステム開発に関わる「SE」とはいったいどんな仕事をしているかに視点をあて、システム開発で陥りがちな失敗を解説した本。ただし、全ページにわたってたっぷりと皮肉と風刺が含まれているのでSEで洒落の通じない人は読まないように。「SE」と呼ばれて心当たりのある私が読んだ分には終始苦笑の連続だった。なかなかに笑いのセンスが光った希有な本だ。

内容は第1章から第3章まで分かれており、第1章ではそもそも「SE」とはどのような人なのか、どんな風に仕事をしているかについて説明している。まずSEを開発系と運用系に分け、開発系のポジションを上位のシステムコンサルタント、プロジェクトマネージャから下位に位置するプログラマまで順に紹介。SEとは顧客の要求をかみ砕くポジション、プログラマはかみ砕いたものを動くようにするポジションというふうに大ざっぱに説明している。

そして特筆すべきは、システムに関わるポジション同士の力関係にまで言及していることだ。業務オペレータは運用系SEにとって神だ。彼らは朝の4時だってシステム問い合わせと称して人をたたき起こせる存在だ。営業にとって顧客は神だ。顧客が望むなら自社にない技術だって実現させることを約束する…たとえSEが何と言おうとも。SEにとってプログラマは油断のならない存在だ。設計通りに作らない。プログラマにとってSEは油断のならない存在だ。自分のクリエイティブ性を発揮させてくれない。運用系SEにとって開発系SEは油断のならない存在だ。バグを仕込むだけ仕込んでおいてカットオーバーしたらトンズラする。もはや苦笑するしかない。まったくその通りだ。

さらに、運用系SEは開発系SEより評価されにくいという構造的問題(何事も起きないことが成果になるのだから当然だ)や、人材不足のプログラマを甘い言葉で釣っていく業界構造が招いた悲劇まで解説している。そして最後にこう締めている。

本書で想定している主読者である顧客の方々は、IT企業の構成員たちはこんなに壊れているのか、と不安に思われたかもしれない。実際にはこれ以上に壊れているので、本書は準備運動のお手伝いをしている程度である。
だが、彼らは壊れてはいるものの基本的には善良であり、付き合い方さえ間違えなければ得難いビジネスパートナーになってくれるだろう。

第2章ではシステム開発時の方法論と、実際に発注する際の手順、開発会社の選定方法や要件の伝え方、見積もりの評価や検収時の注意点などについて解説している。顧客の立場として最低限知っておくべきことはだいたい書かれてある。そして注目すべきは賢そうな横文字単語が出てきた場合についても少し説明していることだ。たとえば「オブジェクト指向で作っているので、高機能です」としたり顔でアピールする営業へのツッコミポイントは、オブジェクト指向は開発時のソース利用効率を上げるための方法であり、機能とは関係ないということ。そして、あくまで開発側の効率を上げるためのものなのでユーザには関係がないということだ。ということで、次のように切り返すことを提案している。「使い回し指向で作っていただいているわけですから、構築費用はお安くなりますよね?」。こう言ったところでおそらく効果はないだろうが、少なくともだまされないためにある程度の知識は持っておくことを説いている。

そして第3章は傑作だ。ケーススタディとして『web5.0』(!)的技術を駆使したシステムを開発して崩壊するまでの過程を物語風に書いている。「Web5.0! いったいどの前頭葉を強打すればそのような言葉がまろび出てくるのか」という暴走営業に対するSEのツッコミや、「今回の案件などどうでもよいのだ」と部下に言い放つ顧客企業のCIOなど、もはやケーススタディというよりただの喜劇台本にしか見えない。しかしここまでいかなくてもシステム開発を遠くから冷静に眺めてみると、全員が協力してコントを演じているようにしか見えないから不思議だ。

システム開発での失敗事例や注意点について解説した本は数あるが、この本は初めてシステム発注する顧客に向けて最初の一歩を簡単に解説したよい本だ。しかし繰り返すが、SEの立場として読むならばひたすら皮肉られているだけで目新しい発見もないので苦笑するしかない。ギャグだと割り切って読むぶんには良いかも知れない。

最後に、よく知られたシステム開発のジョークを一つ紹介する。

System development joke

自分の関わるシステムがこうならないよう祈るばかりだ。…いや、十中八九はこうなるんだが。

ファンタジー世界の経済学入門――狼と香辛料

狼と香辛料 (電撃文庫)
狼と香辛料 (電撃文庫)
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支倉 凍砂
メディアワークス
売り上げランキング: 282
おすすめ度の平均: 4.5

5 薫る本
4 若さとアイディアを評価する。
4 良作と言っていい作品
4 ありそうでなかった設定の魅力と枷
4 マルもあれど、バツもある作品

狼と香辛料〈2〉 (電撃文庫)
支倉 凍砂
メディアワークス
売り上げランキング: 504
おすすめ度の平均: 4.5

5 アニメ7013話
3 1巻に比べると失速した印象。
5 恋の始まりを上手に描いています
4 なかなか良い
5 大興奮!

これは久々に来た!!!(毎度言ってますが) ただいま2巻まで読了。

主人公は旅の商人。町から町へと品物を運ぶ行商のひと。そして一緒に旅をしているのは狼の少女。何百年と土地の守り神をつとめ、故郷へと帰ろうとしている賢狼(たまに変身)。ストーリーのメインは旅道中での取引と、そこから始まるトラブルの話。見所は経済ネタと心理戦が7割、ケモノ耳萌えが3割

この物語が面白いのは、何と言っても中世風ファンタジー世界の経済構造についてとことん具体的に記述されているところだ。第1巻ではマネーサプライについての投機話から、第2巻ではデリバティブ取引の失敗から話が始まる。商品を手に町から町へと渡り歩く都合上、しょっぱなから為替の解説が入る。続いてマネーの需給、リスクヘッジ、コスト構造、関税対策、価格交渉、教会ビジネス、組合組織、レバレッジ効果、戦争特需、破産などなど経済ネタをふんだんに織り交ぜながらストーリーが進行する。

特に仕入れた商品を納入するときの価格交渉の駆け引きが実に面白い。テクニックの飛び交う心理戦で面白いように値段が変わり、立場の強弱が釣り合うところで決着が付く。いや、そんなことは現実の対面取引では当たり前の話なんだろうけれども、それがライトノベルのファンタジー世界で展開されてメインのストーリーに絡んでいくというのが斬新で興味深い。まさにアイデアの勝利。新ジャンル「ファンタジー経済小説」というラベルを貼り付けてもいいくらいだ。

「萌」要素もしっかり。二人の関係はある時は商売のパートナー、ある時は債権者と債務者、またある時は恋仲っぽくなったりところころ変わり、そのたびの二人の言葉の駆け引きも価格交渉と同じくらい面白い。会話の主導権を握るための言葉の応酬はまるでポーカーの勝負でも見ているかのようで、互いに手札を握って掛け金を積み上げながらカードを切っているという表現がもっともよく当てはまるだろう。そして、それは価格交渉で立場の強弱の探り合いをしているのと同じ構図だということに気がつく。商人は何気ない会話さえ商売として楽しんでいるかのようだ。互いの信頼関係の上で交わされる小気味よいやり取りは何度読み返してもニヤニヤしてしまう。

ストーリーは全体的によく練り込まれており、たくさんの経済ネタを入れつつすべて伏線として回収している。そしてケモノ耳。そしてしっぽ。そして桃の蜂蜜漬けと葡萄酒と羊の干し肉と大量のりんご。そして忘れてはいけないのが香辛料。もちろん本物の狼に変身するというファンタジー要素も忘れていない。経済をメインに据え、ファンタジーと冒険がほどよくバランスされた希有な一冊だ。

春琴抄 ~明治文学に見るツンデレ

今日は1冊の小説を紹介したい。

彼女の名前は春琴。容姿端麗にしてお嬢様。小さい頃から才能に恵まれ、勉強を教えればたちまち2人の兄を追い抜いてしまうほどで、舞踊を教えれば師匠も舌を巻くほどであったという。しかし9歳のときに光を失い、それからは三味線の道を選ぶことになった。

そして彼の名前は佐助。もともとは彼女の家に丁稚奉公していたが、彼女の手を引いて三味線の師匠に連れて行く役を何度か仰せつかる内に気に入られたようで、後々一生を共にすることになる。

と、こんなところから始まる2人のお話なのだが、別に普通のラブストーリーではない。どちらかというと「お嬢様と下僕」のお話である。しかもこのお嬢様、かなりのツンデレ。(実際には少し違うがほぼツンデレといっていい)

「べ、別に好きであいつに教えてやってるんじゃないんだからねっ。毎晩熱心に三味線の練習してるもんだから、ちょっと可哀想になって付き合ってあげてるだけなんだから!」(脳内現代語訳。以下同様)

このとき春琴11歳、佐助15歳。のちに妊娠が発覚するが、彼女は父の名前を言おうとしない。周囲は佐助が相手だと判断して結婚するようにし向けるが、
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