[書評]帳簿の世界史

2015年4月13日

ある作家が法人税法違反で告発されたことが話題になり、それに関連して簿記や税務の話がバズっているので、流行りに乗ってこの本を紹介したい。複式簿記からはじまる会計・監査の歴史を解説した本だ。

会計の歴史はざっくり言うと、
14世紀頃にイタリア商人たちが複式簿記を使う

16世紀~17世紀にスペイン、オランダ、フランス、英国政府が財政に使う

19世紀の米国経済で会計士が量産される

という流れで、この本では各時代の流れが詳説されている。今となっては当たり前の「帳簿を付けて資産の流れを追えるようにする」ということが理解されず、何度となく阻まれて頓挫する様子が繰り返し描かれている。

一例を挙げてみる。
15世紀のフィレンツェに生きた銀行家コジモ・デ・メディチ。彼は父から受け継いだ銀行業を、ロンドンやローマといった主要都市へ支店網を築く国際事業に発展させることで欧州一の富豪となった。当時のイタリア商人のあいだでは複式簿記が使われており、コジモも例外ではなかった。離れた場所にある支店(本店とは独立した存在である)の事業を統括するため、彼は支店の監査を徹底した。この仕組みは彼が亡くなった後も続いたが、彼の跡を継いだ子どもたちは十分な監査ができなかった。会計の専門家不在のメディチ家は叩き上げの番頭サセッティを支配人にするが、後年彼も芸術に傾倒して監査を疎かにしてしまい、リスクの高い投資案件に手を出して損害を重ね、凋落することとなった。
コジモ亡き後に会計知識が受け継がれなかったのは当時の思想の影響がある。ルネサンス期のプラトン思想では芸術や文化を重視し、商業を不道徳で卑しいものと考える。あるいはルネサンス期を迎える前だったとしても、信仰を最重視する当時のキリスト教的価値観は同じようにとらえただろう。(職業倫理の考えが生まれて商業を肯定するようになるのはもう少し後の話)。フィレンツェを支配するようになったコジモは子どもたちには商人ではなく支配者としての役割を期待したようだ。その希望通りメディチ家はのちにローマ教皇やフランス摂政などを輩出することになるが、監査の行き届かない銀行は衰えていくしかなかった。
おそらくコジモは監査を重視しながら、監査が一族の生命線だったということを意識することがなかったのだろう。
本書を読み終えて分かることは「会計は薄氷の上に成り立っている」ということだ。
終章で著者は言う。

本書で見てきたように、ルネサンス期のイタリアやスペイン、フランスといった強大な王国から、オランダ、イギリス、アメリカなどの商業国家にいたるまで、会計の発展には一つのパターンがある。最初にめざましい成果を上げたかと思うと、いつのまにかあやしい闇の中に引っ込んでしまうのである。

厳格な監査でメディチ家の繁栄を作り上げたコジモは、その死後までそれを維持できなかった。
ルイ14世の財政を支えたコルベールも、彼が亡くなると同時にシステムを崩壊させてしまった。
会計教育が整備され、複式簿記の重要性が多くの人に理解される近代になるまで、地道に記録を付けて資金繰りの危険性を明らかにするこの知恵は、それを理解しないあらゆる人に邪魔されることになった。そして19世紀ごろになって会計教育が出来上ってきたかと思うと、今度は不正に利用されるようになっていった。(エンロン事件やリーマンショックは記憶に新しい)。
乱暴に結論を急ぐなら「倫理的で責任感を持った人でないと会計は任せられない」といったところだろう。著者は「経済破綻は世界の金融システムに組み込まれている」と悲観的な結論を述べている。経済破綻と言うとちょっと煽りすぎにも聞こえるが、真意としては会計という仕組みに責任と期待を背負わせすぎている現状は危険だということだろうと思う。会計そのものの知恵は(行きつ戻りつを繰り返しながら)発展を続けてきたし、見えない部分を数字で見えるようにし、不正の起きる要素を少しずつ減らして、人がビジネス全体を把握できるよう光の当たる部分をどんどん広げてきたことに疑問を挟む余地はない。
この本に専門的で難しい知識は一切出てこない。
特に会計に詳しくない私は、商人の歴史を知りたいがために翻訳版発売と同時に手に入れたのでこの点には安堵した。金と香辛料(春秋社)などと合わせて欧州の商業史を理解する助けとなるだろう。

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