スーパーボリューム・ミー

2011年7月21日

ちょっとは静かにしておいてもらいたいものである。
静寂の価値 – タイム・コンサルタントの日誌から
http://brevis.exblog.jp/11378036/
私も同じことを考えていて、無駄に町中に音楽を垂れ流し続けるのはやめてほしいと思う。たとえばBGMを流さないなど、静寂が売りのカフェチェーンがあってもいいと思うし、飲食店でもBGMが届かないような席を選べるようにしても良いと思う。嫌煙権が認められた結果分煙が進んだように、嫌音権を認めて隔離スペースを選択できるようにしてほしい。
とは言うものの現状では逃げ場などないので、何とかして自衛するしかない。私は騒音のひどい場所を歩くときはイヤホンを付けている。音楽を聴きたくないときは何も流さないままイヤホンを付けている。カナル型イヤホンなので音楽を流さない場合でも耳栓として機能する。さすがに人混みの中を歩くときは人にぶつかりやすいのではずすよう配慮しているが。
それから、空港を使う際は有料待合室を愛用している。手続きを終えて一休みしたい時に次から次へとアナウンスが流れている中ではろくに落ち着けるわけがない。有料待合室では静かな音楽が流れているか、まったく流れていないので自分のペースでくつろぐことができる。空港以上にターミナル駅なんかもなかなかうるさいものだが、幸いなことに駅は待ち時間が少なくて済むのでこちらはあまり気にしていない。
もっとも嫌なのは商店街だ。高松市の某商店街のようにアーケード全体で音楽を流すのはやめてほしい。本当にやめてほしい。本当に本当にやめてほしい。パチンコ屋のような騒がしい存在はその場所から離れればどうということはないが、校内放送でもないのに同時放送用スピーカーまで用意して聞きたくもないアップテンポの音楽をエンドレスで垂れ流しているのは気が狂っている。いったい誰が得しているの? 誰かこの曲を聴きたいの? たとえば夏祭りが迫っているような時期に祭りの音楽を流したりするのなら話は分かる。でも年中おなじ音楽を聴かせる意味がどこにある? 最近、都内の商店街でも同様のことをやっていて(警察署からの防犯アナウンスのためらしいが、アナウンスの無い合間はずっと音楽を流している)愕然とした。
同じようにやかましくポップスを流しているハンバーガーショップなどもあるが、別にバーガーショップは落ち着くための場所ではなく、やかましくおしゃべりするための場所だから仕方がない。しかしコーヒーショップは落ち着くために入る人もいる。そんなところでポップスなんか流された日にはコーヒーカップを床に叩きつけて帰りたくなる。
家電量販店は音楽を流すのをやめてほしい。値段をアピールするのは良いし、それに拡声器を使っても別にかまわない。でもメロディを狂ったように流すのはやめてほしい。しかも洗脳されそうなチープな音楽をエンドレスで。買わせたいのは分かるがさすがに足が遠のいてしまう。秋葉原の町はもはやこうしたチープ音楽がアイデンティティのようになってしまったが、できれば魚市場的な騒がしさのほうが「電気街」という名前にマッチすると思う。リアルな人間の伴わない、ただの騒音の際限ないコピーは「にぎわい」なんかじゃない。
3月の地震の後、私はTVとラジオをつけっぱなしにしていた。このときに気が付いたことの一つが普段のCMの耳障りさだ。地震後しばらくの間は全国のテレビとラジオからCMが消えた。しばらくしてCMが再開されたが、いずれもクオリティの高いものだけが残った。推測だけど、考え無しにCMを垂れ流すようなスポンサーは自粛の波に揉まれ、配慮あるCMを作ることが出来るスポンサーとそれに応えられるクオリティのものだけが勇気を持ってCMを流すことができたんだと思う。このときばかりは音楽があっても控えめで、このときのテレビ・ラジオの雰囲気がずっと続いて欲しいと思った。
カフェではイヤホンに、酒場は個室に、テレビはミュートに。これが今できるささやかな自衛だ。

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