あたりまえのことだけど、人殺しは良くない

2008年6月9日

秋葉原で無差別殺傷 死亡7人、けが10人に – asahi.com
秋葉原歩行者天国で通り魔 11人ケガ、7人死亡 – 痛いニュース
(痛いニュースの画面キャプチャやアップロード写真が生々しい)
さっき仕事帰りに通ったら、交差点に面した歩道の角に大量の花束と飲料が置かれていた。それから、大量の報道カメラマンがカメラ片手にウロウロしていた。その場所以外はいつもの秋葉原の風景だった。もしタイミングが違えば私も被害者の一人になっていたかと思うとぞっとする。
人殺しは良くない。あらためて再確認。
「通り魔」というから何だか見せ物みたいな軽い感じがするが、いわば大量殺人で、無差別殺人で、公開殺人だ。形だけを見ればテロと言ってもいい。トラックで轢き殺す、ナイフで刺し殺す、テロだと思えば理解も早い。むしろその気になれば爆薬を使った自爆死とか、最近はやりの硫化水素ガスによる大量殺戮さえ簡単にできるので、そういった可能性を考えると「通り魔」はテロの派生物でしかない。アメリカの銃乱射事件の場合、国内反応や報道の温度を見るとテロ事件に対するそれに近い。しかし一方で、日本の通り魔事件はワイドショー的な家族や知人への特定殺人に対する報道の延長線上でしかないように見える。この違いは何だろうか。(ただの私の印象論だけど)
人殺しは良くない。大事なことなので二度言いました。
世の中が嫌になっても、宗教に入るとか、軍隊に入るとか、もっと生産的な出口があったはずだと思う。まあ、そんな合理的なことを考えている余裕がないからこのように暴走したんだろうけども。そうは言っても、前後のことがどうでもよくなった時にあえて「人を殺す」ことを選択する心理がよく分からん。薬物とかやっていて街行く人が悪魔に見えたとかなら分からなくもないが、自分の社会的立場を引き替えに利害のない不特定人物を殺すのは生存戦略的にも割が合わない。そのへんを歩いている犬だって、狂犬病になって恐怖に駆られれば誰にでも噛みつく一方で、正常な状況認識ができる状態で誰彼構わず噛みにかかる犬はいないだろう。あえて人生最後のビッグイベントにこの凶行を選んだということは、もともと人を殺すことに好奇心を抱いていたり、人を殺すことに快感を感じるような人だったのだろうか。それとも単に目立ちたかったんだろうか。
人殺しは良くない。長い人生、一線を踏み越えたくなることが何度あるか分からないけどとりあえず落ち着いて指さし確認しよう。

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