考えるな、感じるんだ――論理的思考を減らそう

2007-03-26 00:43 | 雑記 | § 1

論理的思考の放棄 (登 大遊@筑波大学情報学類の SoftEther VPN 日記)
http://d.hatena.ne.jp/softether/20070324#p1

登大遊氏が面白いことを書いてます。彼は一日最低3000行、最高でも1万行という凄まじいペースでプログラミングをします。そのプログラミングのステップを分解すると作業の大部分は論理的思考の入らない感覚的作業でした。だからプログラミングをするのは論理的な作業とは言えないですよ。てな話。

天才が語る「論理的思考」は凡人の考えるそれとは違うのだな、というのがよく分かりました。

彼にとってはおそらくプログラミングに必要な「論理的思考」はただのルーチンワークなのでしょう。自転車の乗り方をいちど覚えてしまえば次からは考えなくても乗れるように、彼にとってはロジックを組み立てることが手足の感覚のように当たり前の存在になっていて、労力も時間もさほど必要としないレベルにまで自動化されている。だから構想や設計といった感覚的なものしか彼の意識上にはなくてこのような極論になったのではないかと推測します。いいですね。無駄なこと一切を無意識が勝手に処理してくれて特に考える必要がないっていうのは。

だから天才の言うことは私たちとは一切関係ないんだよ、という話をする気はありません。無意識の効率的な使い方は天才に学ぶべきと言いたいのです。自転車の乗り方を覚えたとき、それは身体が覚えたのではなく「必要な一連の動作を無意識化で処理できるようになった」だけに過ぎないのです。登氏がプログラムを書くのはおそらく自転車に乗るのと変わらないのでしょう。つまり、考えなくてもペダルはどんどんこげるので、あとはハンドルを右に曲げるか左に曲げるかだけしか考えなくて良い。それは簡単に言えば「慣れ」です。

毎日自動車に乗っていれば、考えなくても運転動作が出来るでしょう。毎日学校に行っていれば、考えなくても目的地に着けるでしょう。毎日マクドナルドで働いていれば、考えなくてもマニュアル文章が口から出てくるでしょう。すべては慣れです。必要動作をことごとく無意識に任せてしまうのが「慣れる」ということです。

ということは、作業に占める「慣れ」の比率を極限まで高めれば登氏のような異常なペースも不可能ではないのですね。まあ言うのは簡単ですけど、退屈な作業があったらそれを退屈なままで終わらせずにさっさとオートメーション化して次へ行け、いつまでも低いレベルの思考をするな、ということです。それを彼は「努力しない」「頭を使わない」という言葉で表現しています。これはよく言われる「優秀なプログラマは面倒くさがり」ということを支持していますね。

さて、私の場合ですが残念ながらプログラミングが得意ではないことに最近気がつきました(作業自体はかなり楽しいんですが生産性が低すぎる)。その一方で文章を書くのはわりとすらすらいけます。5年以上書いているので無意識で片付けられる部分が増えてきたのですね。では文章を書くことにおいてこれ以上無意識に任せられる部分はあるのでしょうかね。テーマと構成だけを決めればあとは考えずにキーボードを叩くだけ、とかそういうレベルになればいいですね。

さて、あなたの目の前にある作業で次に自動化できるところはどこでしょうか。(啓蒙書風に終えてみる)

参考

論理的思考の放棄 – 登大遊のSoftEther VPN日記

論理的思考の放棄2 – 前エントリの追記

 ・登氏のコメント欄にしては珍しく質が高い

論理的でも非論理的でも良い

直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。



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