シムシティみたいな街の話、あとmixiの話

2006-09-16 22:21 | 雑記 | シムシティみたいな街の話、あとmixiの話 はコメントを受け付けていません。

──チラシの裏──

普段はまるで幸運の女神にストーキングされているかのように幸運に恵まれることの多い私ですが、たまには狙いすましたかのように不運ばかりな日もあるわけですよ。それは先週末だったわけですが。

近所のスーパーに行こうと思ったら自転車で5分のジャスコと7分のとりせんがあるわけですけども、ジャスコの方は駅前にあるので仕事帰りに寄ることが多いのですよ。で、陳列が毎日変わるわけでもないので通ってるとそのうち飽きてしまう。そこで週1、2回はとりせんに行くわけです。

日曜日の夜、急にラーメン食いてえなと思って具材含めて一式を買いに行ったのが10時頃のことです。とりせんは一応駅の前にありますけど、つくば駅前にあるジャスコと違ってこちらは1つ隣の研究学園駅前。地元の方なら知ってるでしょうが周りには何もありません。面白いほどに何もありません。家一軒ありません。

研究学園駅 – Google Maps

そんな荒野のど真ん中に駅があり、誰も走らないような片側二車線の道路があり、そのそばにとりせん研究学園店がででんと構えています。ただそれだけです。広い土地に巨大駐車場と巨大建物だけがある様はまるでアメリカの郊外型ショッピングセンターさながら。そして周囲は何もないとはいえ、綺麗に区画された空き地が広がっているのでシムシティさながらです。

つくばの市街地と研究学園駅のその場所までは一本の道路が通っていて、だだっぴろい荒野が広がっています。昼間その道路を通ると、荒れた土と高圧線の鉄塔しか見えないためにショッカーでも出てきそうな気配があります。そして夜通ると地平線の向こうにエリア51からUFOの飛び立つ様子を目撃しそうな気配があります。

Tsukuba Map

(赤い点がスーパー、赤い線が結ぶ道路、淡青色部分が市街地)

そんな環境なので、ジャスコに行く5分ととりせんに行く7分との間には2分の差では表せないような隔たりがあるわけです。ジャスコへの5分は整備された人通りのある街路を通り、大きな交差点を3つ渡るという5分です。一方のとりせんの7分は、市街地を出てひたすら荒野の直線道路を最高時速40kmでこぎまくる7分です。スーパーの手前に一つだけ交差点がありますが車などまったく通らないので存在の意味がありません。

そうして辿り着いたところに、暗闇に浮かぶスーパーマーケットと、全面ガラス張りで照明が美しい高架駅が見えてくるのです。何度通っても到着の喜びを感じます。近所のスーパーに行くだけなのに。

そうして7分をかけて先週日曜の夜にスーパーに行ったわけなんですが、着いたところで財布の中身がないことが判明。日曜深夜、荒野の中で無一文。このときの絶望感といったらありませんでしたね。

まあ今来た道路をたどっていけば市街地に入ったところにセブンイレブンがあるので1往復して無事に買い物ができたわけなんですけども。何もない場所で無一文で途方に暮れるという体験はあまりできないのではないかと思いますね。そんな不思議な場所、筑疲。

ちょっとおまけしときますと、このスーパーで買い物ができたはいいもののラーメンを作ろうと湯を沸かしたところでラーメンスープがないことに気がつきました。そして結局駅前のジャスコに自転車を飛ばしました。まったくついてないね。

ラーメンはおいしかったです。そりゃもう汗と涙の味で。

──チラシの裏・終わり──

mixiの話に戻るけど

実はここから本文。

この間、みんなはmixiの中で何を見てるんだろう?の中で「今日ハンバーグ食べました」みたいな文章は読む気にならないとかそんな過激なことを書いた気もしますけど、上の文章を書いてみて分かりました。たいした意味がない内容だけど書きたくてたまらないってこと、あります。

それはたぶん「愚痴」のようなものだと思います。その内容にたいした情報的価値はない。でも言わずにはいられない。「今日は不運な日だったよ」という内容は読む人には何の付加情報も与えない。でも言う方は言いたくてたまらない。「ハンバーグ食べたよ」という内容は多くの人にとってどうでもいいかもしれない。でも「ハンバーグ食べたよ! みんな見て見て!」という気持ちになるのはよく分かります。

「チラシの裏」的なブログとかmixi日記とかいう存在は、そういった広義の「愚痴」を受け止めるための仕組みとしてよく機能してるんじゃないかなと思います。だからあまり情報を求めて日本の2ちゃんねるとか米国のSlashdotとかのような情報的価値を求めるのは筋違いなんじゃないかと思えてきましたね。コミュニケーションツールはただのコミュニケーションツールであって、外から情報を探してきた第三者にとっては全然有用じゃない。

情報を検索によって「狩猟」するのではなく、知ってる人とか信用のおける人のネットワークを自分の周りに築いて、情報を「農耕」するというのがSNSなんでしょうね。そういう意味ではネットの情報発信は縄文時代から弥生時代になったんじゃないでしょうか。

「チラシの裏」的な日記はそういった田畑に肥やしを蒔くようなもので、それほど意味のないものではないんでしょう。そうは言ってもやはり狩猟一本でネットの中を泳ぎ回る私にとってはノイズ以外の何物でもありませんが。

狩猟民族はそのうち駆逐されるのかもしれませんね。



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