ピアノマンはどこへ行くのか(後編)

2005年6月20日

ピアノマンはどこへ行くのか(前編)の続き)

愛のサーカス

別役実の「愛のサーカス」という童話をご存じだろうか。中学校の教科書で読んだ人が多いかも知れない。少年と象と街の人々との話だ。

物語は、ある港街に少年と象がやってくるところから始まる。その少年は話すことができず、ただ寂しそうに象に寄り添いぼんやりと海を眺めているのだった。そんな少年に、町の人は心を尽くして世話をしていく。やがて少年が人々に心を開いていくうちに、街全体が優しさに満ちていく。実は、人々を優しい気持ちにし、感動を与えることがサーカスの興行であったのだ……。

[ 本紹介 ] 山猫理髪店 <2004年12月号>:龍谷大学新聞社)


少年は一言も喋らない。しかし、ものをもらうと嬉しそうな顔をし、夜になると象と共に水平線の向こうを寂しそうに見つめる。それを見て港町の人々は「お母さんのことを思い出しているのよ」などと想像し、温かい目で見守っている。彼は特別なことを何もしていないのに、人々は彼に素朴な感動を覚える。
しかし、ある日街にサーカスの馬車がやってくる。サーカスの主は、少年と象はサーカスの興行をしていたのだと説明する。そして「フィナーレです」と言って馬車の扉を開ける。そこからは少年の母親らしき人が現れ、2人は駆け寄りそして抱き合った。街の人々はそれを見て感動し、涙した。そしてサーカスは人々からたっぷりのチップをもらい、母親と少年と象とをさっさと馬車に追い立て、外から大きな鍵をかけて次の街へ向かうのであった。
(※:うろ覚えなので細かい部分は違うかも知れない)
少年たちの行動は実は作り物だった。しかし、最後にそれが明かされても人々は感動し、喜んでそれにお金を払った。信じていたものがウソであったとしても、それに価値がなくなったわけではなかった。少年の行動は何でもないものだったかもしれないが、人々はそれによって心を動かされたことを認めた。そしてその結果に対して喜んでお金を払ったのだ。
私はこの話がピアノマンに通じるものだと思う。すなわち「ピアノマンは興行の一環だった」説だ。これは映画とは関係なく、ピアノマン自体の興行だとする説だ。
シナリオを推測してみた。

ピアノマンははじめは怯えていたが、次第に心を開くようになった。相変わらず言葉は喋らなかったが、彼は何度もピアノを弾いた。次第に謎のピアニストの演奏を聴きたいという人が増え、病院のチャペルは観光名所になった。保護者や知り合いを自称する人が現れたが、彼自身が知っていそうな人はいなかった。
そんな中、別の街の郊外で「謎のヴァイオリニスト」が見つかった。彼もまた口を開かなかった。人々はピアノマンと関係があると思い、2人を面会させてみた。2人は何も喋らなかったが、2人合わせてまた見事な演奏を披露してくれた。
さらに「謎のチェリスト」が現れた。そして「謎のソリスト」が現れた。さらにパーカッション、トランペット、フルート…と身元不明者は欧州全域で十数人にのぼったが、誰も喋らなかった。そして最後に、音楽で有名なとある街で「謎のコンダクター(指揮者)」が見つかった。するとピアノマンをはじめ謎の演奏家たちは彼の元に続々と集まってきた。しかし誰も喋らなかった。
全員が集まったところで、彼らはチューニングを始めた。街の郊外の野原に集まったオーケストラを見て「何事か」とたくさんの人が集まってきた。そしてチューニングが終わった後、しばらくの静寂をおいて指揮者がタクトを振った。一曲目、続いて二曲目、三曲目…すばらしい演奏だった。四曲、五曲、六曲…演奏は日暮れまで続いた。すべてが終わった後、観客の拍手は止まることがなかった。この日彼らは「謎のオーケストラ」となった。
実を言うと彼らは喋れないわけではなかった。謎の演奏家たちの間では何かの言葉が飛び交っていた。しかし、どこの言葉かは誰にも分からなかった。さらに、演奏する曲は知られたものがほとんどだったが、中には誰一人として知らない曲があった。しかも、楽譜さえ誰一人として持っていなかった。
謎を秘めたまま、彼らは「謎のオーケストラ」として各地で演奏した。どこに行っても大成功だった。その後何年かにわたって彼らは演奏を続けたが、ある日、ピアノマンが消息不明になった。ピアノを使う曲が演奏できなくなった。そうこうするうちにヴァイオリニストが消えた。さらにパーカッション、トランペット…と続々と消えていき、やがて全員がいなくなってしまった。最後まで残っていたコンダクターは行方不明になる直前に書き置きを残したが、言葉が分からず誰も読めなかった。かくして、謎のオーケストラは最後まで謎に包まれたまま、消えてしまった。
(2chのどこかで見つけたレスを参考に作成。ソースは失念)

謎であることを利用して評判を呼び、人々に様々な想像をさせておき、普通のことをしながら普通じゃない結果を得る。なんとうまいやり方だろう。

行為小説家

「行為芸術家」という芸術家がいる。私はテレビで知ったのだが、ウェブで検索しても出てこない。類似単語として「パフォーミングアート」「パフォーマンスアート」などがあったがこれは違うらしい。行為芸術家はどうやら街中での自分の行動をそのままアートとして表現する人のようだ。私が見たのは自然を表現するために全裸に近い格好で街を歩く芸術家の姿だ。
これを応用して「行為劇団」という職業を考えた。いや、いると仮定しよう。
行為劇団の役者は「愛のサーカス」の象と少年のように、どこからともなくやってきて、どうにかして街に住み着く。そしてその街で関わる人たちとの間に何らかのドラマを仕立てる。劇団がステージの上で演劇をするのと同じ要領だ。違うのは舞台が日常の社会ということと、観客とも言うべき街の共演者たちは彼らが演劇を演じているとまったく知らないと言うことだけ。いわば「ドッキリカメラ」の仕掛け人とターゲットの関係だ。
そして興行は最高潮を迎えた後、全てをカミングアウトしてチップをもらい、次の街へと出かけていく。劇団だと複数の人が関わることになるが、一人でシナリオを書いたり役者を演じたりと全てをこなすことになれば「行為小説家」と言ってもいいかもしれない。この場合カミングアウトしなくてもシナリオやシナリオに沿わなかったことすべてを小説にしてあらためて出版すれば稼ぐことはできる。
そういった「行為小説家」や「行為劇団」がいてもおかしくないと私は思う。そしてその一人がピアノマンかもしれない。「事実は小説よりも奇なり」というが、小説より面白い実話が実は仕組まれたものだったかもしれない。X51.ORGに取り上げられるような面白いニュースの一部にそういったネタが含まれているのかもしれない。
そう考えると、ピアノマンのニュースもより面白く思えてくる。

参考

ピアノマン – 沈黙する謎の天才ピアニスト 英(X51.ORG)
ピアノマンはどこへ行くのか(前編)

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